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■生き物と人間との戦争 ②山成す白骨;北米バイソンの悲劇 [生き物]

●一枚の写真が語るもの;計量される死
ここに一枚の写真がある.撮影は1870年代中頃,肥料として使用されるの
を待つアメリカン・バイソン頭蓋骨の山だ.頭骨を手にし,足を置き,誇らし
げにポーズを取る二人の人物にいささかの感傷も無い.むしろ戦利品を手
にした勝利者が示すありふれた姿のようにも見える.

BisonSkullPile.jpeg
Photograph from the mid-1870s of a pile of American bison skulls waiting to be ground for fertilizer. Wikipedia(Englishi) 

一人の人間の死は,それがどのような死であれ,臨む人間にとって厳粛
な苦痛の瞬間であると思う.そして,もしそれが我々に類縁の動物であっ
たとしても,何ほどかの苦渋の痕跡を消し去ることは不可能だ.しかし戦場
では死は数として計数される.要するに死は足し算され,その効果が演出
されうることが示される.19世紀ロシアの画家,ヴァシーリー・ヴェレシ
チャーギンはバイソンの頭蓋骨ではなく,ヒトの山成す頭蓋骨でそれを描
いてみせた(戦争崇拝;額縁には「過去、現在、及び未来の全ての偉大な
侵略者に捧ぐ」が刻まれている).ただし,画家の眼差しには多くの悲しみ
と苦痛が秘められ,戦争勝者への一片の礼賛もない.この批判精神の地
平に連なる21世紀は反省の世紀なのだ.

300px-Apotheosis.jpg
Vasily Vasilyevich Vereshchagin (1842~1904), The Apotheosis of War,Tretyakov Gallery.Wikipedia(Englishi)

ヨーロッパから移民がおしよせる以前の北米大陸には6000万頭以上バイ
ソン(しばしばバッファローとも呼称される)が草原生物群集の一部を形成
していた.この草原の複雑な動物ネットワークが,近代という時代を生きる
人間の侵入によりずたずたに引き裂かれ崩壊したこと,この人類史に残る
環境破壊の惨劇を否定する生態学者はいない.中でもバイソンに加えら
れた過酷な仕打ちは「ヒトと動物」の関連を考える上で忘れてはいけない
事実として記憶に留めておく必要がある.

ゲームとしてのバイソン殺戮
コロンブスがハイチに到着した1500年前後,北米バイソンの棲息分布はど
うなっていたのだろうか.出典は明らかではないがピーター・ファーブによ
ると東部ニューヨークから西のオレゴン,北部カナダから南部メキシコの全
平野部を覆い尽くしていたという(ライフ/ネーチュア ライブラリー,生態,
坂口勝美訳,1971, p.149).ところがこの北米大陸の一大生息地域は,欧
州からの移民と共に激減し,ついに1906年までには初期分布からは点状
にしかみえないようなほんの小地域に縮小してしまう(イエローストーン
園内とカナダのアタバスカ湖付近).一体この間何が起こったのか.白人
の渡来以前に土着のネイティブ・アメリカン(通称アメリカ・インデアン)に
よってもバイソンは好んで狩の対象とされて来たが,これはバイソンが衣食
住や交換商品としていかに有用だったかを考えればある程度理解できる.

BisonFight.jpg
Two bison are fighting in Grand Teton National Park,Wikipedia(Englishi)

馬の登場はこれを加速させたが,それでも平均年間狩猟頭数は25万頭程
度だったという.鉄道を敷設し,銃を携えた白人達はこのバイソン狩を絶滅
戦に変貌させた.食料や毛皮といった1800年代初期の実用的目的を超え
て,殺戮そのものが自己目的化したかのような後期のエピソードは人間の
暗部を露呈して暗澹たる気分に叩き込まれてしまう.車窓からバイソンを撃
ちまくるという狩猟特別列車の企画など,いかなる理屈でこれを受け止め
たらよいのだろうか.沿線でその犠牲となってのたうち,うめく無数の血ま
みれのバイソンの姿を楽しむこと,このことに何らの制御も働かなかったの
は他でもない我が同胞;ホモ・サピエンスである.

●誰の生活圏を破壊するのか?
ともあれ合衆国では1894年,総数20頭という現実を前にして初めて罰則を
伴なう厳しい保護政策が制定され,バイソンは絶滅をかろうじて免れた.し
かし,このバイソン激減の傷跡はバイソンという大型草原草食動物一種だ
けに限定されたものではない.北米草原にはバイソンに代わり牛や羊が放
たれたが,これらを襲うという理由で「害獣」としてオオカミ等の肉食獣は容
赦なく「駆除」された.毒餌は普通の駆除手段であり,死んだ肉食獣を啄
ばんだ鳥達も犠牲となった.その結果それまで脇役に甘んじていた昆虫
や小型げっ歯類の数が増大することにより,膨大な数の家畜とあいまって
草原はその豊かな相貌を一変させた.19世紀初期の北米広域植生がどう
なっていたのか調べたことは無いが,バイソン生息域と対比させればそこ
が砂漠の範疇に入らなかったことは容易に推察できる.

TexasR62a.jpg
エル・パソからカールスバッドに到るR62/180沿の一景.砂漠と言っても語 弊がないような荒涼たる平原が広がる

しかし,砂漠化の世界地図は驚くべき現状を鮮やかに色分けして見せる.
北米西部平野部の少なからぬ地域が急速にその土地の豊かさを失い
つつあるのだ.

砂漠化世界地図.jpeg

激減したバイソンがかっての繁栄を取り戻すことは決して無いだろう.それ
は我々人類の営為が,時代そのものを総体として逆走させることが出来な
いことと関係がある.もっと端的に言うなら,バイソン自体が生きるための環
境を我々人間が破壊してしまったからだ.
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●生き物と人間との戦争  ①メガ・ソーラーが来る [生き物]

■廃墟に生まれた新計画
工房のアクセス道路の途中に旧蚕業試験所がある.県総合農業試験所分室とし
て変身したのもつかのま,結局使われなくなった建物群を残したまま数年前
全面撤退してしまった.主を失った敷地内にはススキ・クズ等が生い茂り,放置さ
れた巨大な松のいくつかは次々と枯れて,荒涼たる風景が広がるようになってき
た.そこかしこにある入口には「立入禁止」の立て札や色あせた紙切れが神経質
に人の進入を拒んでいるがちょっと笑える.リラと散歩していたら,学生風の二人
連れに「ここは心霊スポットですか」と話しかけられたからだ.人気の無い廃屋な
んぞは胆試しぐらいにしか使われないのかもしれない.
 この旧蚕業試験所の跡地とそれを囲む里山についての現状については以前
このブログで少々書いたことがある.

http://symplexus.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20

経済原理で動くのは旧蚕業試験所も里山も例外ではなく,やがて功利の標的
となった土地は動植物の悲鳴など無視して開発の重機が進軍するであろうという
かなり感情的な見通しであった.ところがこの2年前の予想さながらに,風景が一
変するような計画が10月に県から提起された.メガ・ソーラー計画である.

10月28日2011正門.jpeg
晩秋に撮影した旧蚕業試験所遠景.手前に見えるのはソメイヨシノと高いポプラ,黄色く色付いたプラタナス等

山梨2011メガソーラー構想概略
2011年10月11日付けの県広報によると設置場所は甲斐市菖蒲沢 (旧蚕業試験
場.約13ヘクタール)と韮崎市大草町下條西割 (あけぼの医療福祉センター東
隣未利用地.約11ヘクタール)の2ヶ所の合計24ヘクタールを一括,メガ・ソー
ラー 公募民間事業所に提供するという.ただし伐木、伐根、除草は当初県が行う
が,その後の建設,設計,施工,事業運営については事業所がすべて責任を負
うと抜け目がない.想定出力は11メガワット,「地球温暖化対策のためクリーンエ
ネルギー活用を推進している」という山梨県の宣伝にもなるし,東京電力管内の
電力供給に貢献して今年のような節電騒ぎを回避する一助にもなる.それに固
資産税は毎年確実に地元の収入となるというわけだ.スマート・グリッドのような
革新的配電システムをも視野に入れて,リスク覚悟で時代を切り開くといった類の
ものではない.いずれにしても公募の受付は始まったので11月末には参入業者
の最終結論が決まるのであろう.

4月10日桜2010.jpeg
本年4月に撮影した構内の桜.廃墟をあざ笑うかのように満開が美しい!

■脱原子力は賛成だが・・
原子力発電という悪魔的技術を考えれば,太陽光発電に力に入れることが賛成
であることは言うまでもないことである.その不安定性や”コスト”をあげつらう論調
が無いでもないが,どこまで総エネルギーの中の比率を高められるかは別として
太陽光発電はある意味技術の良心を問われるという面がある.予算が許すなら,
工房の屋根に設置も検討しようと考えてきた.しかし個人住宅と規模が比較にな
らないメガ・ソーラーとなると微かな不信感が頭をもたげるのはなぜだろうか.
おそらく工房が隣接する里山の現状がどうなるのかという不安と関係があるのだ
ろう.茅が岳の長い裾野に位置するこの地は,背後が多くの山稜連なる緩やかな
丘陵地である.蚕業試験場時代に植樹したと思われる多数のソメイヨシノの桜が
南斜面を縁取り,空に向かって聳え立つ巨大な4本のポプラやヒマラヤスギ,プラ
タナスが往時をしのばせている.幹周りが二抱えもありそうな構内の松やコナラは
開発時植生を一部残して構内を仕切る舗装道路の人工色を和らげようとしたの
だろう.主が去った無人の構内は当然ながらキツネやイノシシ,リス,フクロウに
とっては格好の出没場所となった.もっとも人には好まれないヤマカガシ,マムシ,
シマヘビの類も増えたし,オオスズメバチやキイロスズメバチも極普通の構成員
と成ったのだが.

10月15日アケビ2011.jpeg
エノキにからみついていたアケビの実.良く熟れておいしそうなのに未だぶらさがっていた.

■生き物 versus  鉄・コンクリート
しかし,ソーラー・パネルを20ヘクタール近くに敷き詰めるメガソーラーも,物理
的存在としては砂利とアスファルトで舗装した道路やコンクリートで土台を固めた
建物と大差ない.人間が己の物質的幸福のため生物生活圏に進入し,これを簒
奪,支配するという開発行為は何も内陸部メガ・ソーラーに始まったことでは無い
のだ.物質とエネルギーの時代で特徴付けられる近代では市街地の野生動物排
除は徹底し,一般的には迷い込んだ野生動物は容赦なく排除,殺戮されるように
なった.ヒトもまた動物の一員であるが,選ばれた神の選民のように人間と動物を
対峙させ,自らの動物性といかに向き合うかという哲学を不問に付してきたのが
近代の主流である.ヒト以外の動物に対する人間界の惨い仕打ちを「戦争」と形
容するのは事実の追認で有っても論外とは言えないだろう.もの言わぬ生物達は,
宣戦布告も無しにまるで無機質を扱うように生物達をなぎ倒し,根こそぎにしてい
く人間達の進軍を黙って耐える以外手が無かったように見える.だが僕自身は持
続可能な社会とか,環境負荷を減らすとかにはそれほど心を動かされないから環
境保護論者ではないのだろう.低次元の消費爆発やブレーキを失ったような経
済活動の反作用を直視すれば,このままの経済成長が成り立たなくなるのは当
たり前で軌道修正の論調は経済原理の範囲内の論理だと思う.

10月1日新道路2011.jpeg
試験場跡地に接近する建設途中の新道.左手には新田の溜池がありサギやカモが訪れる.

■価値観の落差
 それよりは,この地上で生を受けて生まれた生き物が,ヒトとその他でかくも異な
る価値観の対象になぜなるのか,その疑問が僕の頭の中に居座って出て行こうと
しないのだ.飢えて死に直面している百万の民のために,我々の一日分の米を
提供しようという呼びかけですら,一過性のアジテーションとして風化していくのが
常である.他の国の悲惨を見聞きしてもばかばかしい娯楽の類をあきらめようとし
ない自分がいるから,日々の生活を生きなくてはいけない僕等には偽善としか映
らないのだろう.人間界のことですらそうだから,動物達の悲劇など推して知るべ
しではないのか.そうではあるが,身近に目撃したキツネやイノシシの姿を想い出
すと,ここら辺で立ち止って考えたらどうかという声も微かに響いてくるから不思議
だ.

8月2日カブトムシ2011.jpeg
コナラの樹に群がるカブトムシ達.一見したところでは普通サイズに見える.本年8月2日撮影
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●フクシマ原発クライシス(Apr 17,2011);②ダモクレスの剣 [クライシス]

cherenkov-radiatio.jpeg
アイダホ国立研究所新型実験炉;チェレンコフ効果で光る炉心(ウィキペディアより)

▲安定と準安定
前回4月3日のコメントから早くも2週間以上が経過した.1~3号機は
一種の準安定状態に有り,危機的状態からは脱したかに見える.
原子炉圧力容器,格納容器が示す温度,圧力,水位のいずれも大きな
変動を示していない.

http://atmc.jp/plant/container/

1号機格納容器への窒素ガス導入も6日には開始,7日午前1時半には
容器内圧力上昇,東電では作業が順調であるとの感触を得ていた.
米原子力規制委員会(the Nuclear Regulatory Commission: NRC)ヤツコ委員長
Gregory B. Jaczko)は今の状態を称してstableではないがstaticであると
特徴づけている(4月12日).これはなかなか穿った見方ではある.stableは文字
通り安定であるがstaticは動きのない状態を意味しているのであろう.安定と違って
ちょっとしたことで危機にも簡単に戻りうるのだ.不安材料はいくらでもある.例えば
窒素ガス注入はその後順調に推移しているかというと,12日正午現在で格納
容器内圧力は1.95気圧,前日注入時点の圧と大差ない.つまり窒素ガスは
容器から漏れ出て,水素を一定量以上は追い出せないでいる.

▲膨大な注水のジレンマ
今の準安定状態というのは,通常の冷却系を使用できないために工夫された
間に合わせ的緊急策で,かろうじて保たれていることを忘れないようにする
必要がある.循環冷却系なしの水の注入は原子炉本体だけではない.1~4号機
燃料プールへの積算放水量は7,500トン,ドラム缶にして4万本分である(15日,東電).
この想像を絶する膨大な水の一部は放射性物質を燃料から洗い流して,コンクリート
被覆金属をすり抜け,あらゆる間隙をぬって土中に滲みこんで行く.これは推察であるが
発電所建造物,敷地の総てに汚染物質が吸着し,薄っすらと薄層を形成している
可能性すらある.なぜか.建屋の強烈な爆発を思い出してほしい.ビデオには空気中高く
吹き飛んでいく無数の破片が映し出されている.これらが何を含んでいるのか,
一度として確たる事実の分析が発表されただろうか.

▲複数の対応
要するに安定は月単位の時間の先に希望としてかすかに輝いているのだ.
その具体的な方策については,高濃度汚染環境下での作業効率を考え,
別の場所で冷却系を組み立てて炉に接続する方が現実的だとする提案が
出されている.今有る冷却系に拘れば,それが使用不可能となった時には
とりかえしのつかない遅れをとることになるだろう.決断というよりは複数の対策を
並行してすすめる,その姿が見えないことに苛立っているのは僕だけでは
ないはずだ.事故への対応だけではない.事故の分析もまた依然として初歩的
で心もとない.現在は過去の積み重ねの上にある.すでに過ぎてしまった
出来事の分析を解決済みとすれば,現状把握を誤ることとならないのだろうか.

▲水素爆発と別の推論
建屋の水素爆発についての定説に,前記ヤツコ委員長は米国上院の委員会で
別の可能性を提起した(4月12日付NT記事).

http://www.nytimes.com/2011/04/13/world/asia/13safety.html?_r=1&ref=asia

爆発を引き起こした水素の発生源に関して,従来の見解は圧力容器中で
水位が長時間低下,灼熱の高温燃料棒周囲でジルコニウム被覆と水蒸気が
反応し大量の水素が発生して格納容器の圧力が急上昇,これを外部に逃す
処理中に水素が建屋に充満爆発したと考えられている.前回ブログでもこの
見解を踏まえて爆発に言及した.しかしヤツコ委員長の新提起では水素は
燃料プール由来だという.当然これには東電や保安院側の反論が出されて
然るべきだと思うが,残念ながら筆者の検索には今のところ発見できていない.
問題はヤツコ委員長提起の根拠となっている証拠が何かということである.
そもそも燃料プールの経緯については謎が多すぎる.4号機燃料プールなど
使用済み燃料783本に加えて使用されていた燃料棒548本が保管されて
いたのであるから,「使用済み」燃料プールというのは重要性を低めるレトリック
なのだ.プールの容量は1425立方メートルで2,3号機と同じであるのに対して
発熱量は2,3号機の5~10倍(200万㌔カロリー/時)にも達する.これが
冷却系停止状態で新規の水の注入が無ければ,一日程度で沸騰が始まる
ことになるだろう.

▲情報の量と質
正確で広範な情報を求める国内外の世論に対して,政府は常に「透明性」
について万全を期してきたと繰り返している.情報が足りないとする声と,
もはや公開すべき手持ちの秘密は無いとする主張とのずれはどこから来る
のだろうか.今ある状況で得られるはずだと判断されるデータの質がこの程度
かという失望が背後には有る.データを得るのが困難なら,その困難への説明
をも加えなければ失望は増すばかりだろう.今ある貴重なstatic状態を生かし,
安定を獲得できると思える道筋を示してほしい.
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●フクシマ原発クライシス(Apr 3,2011);①爆発的大規模汚染は回避されたのか? [クライシス]

FNPC.jpeg

▲鋼鉄製原子炉圧力容器・格納容器の神話
 どのように頑丈な容器もそれ固有の脆弱部分を持つ.例えば無敵の鉄壁で
固められた戦艦大和も,魚雷と降り注ぐ爆弾の嵐を受けて悲劇的な最後を
遂げたことを我々は知っている.たとえその上甲板の鋼鉄の厚さが20cm以上でもだ.
福島第一原発の中枢を占める圧力容器,直径約5m前後,全長20m以上の巨大な
筒の厚さは約16cm,この内部ではウラン燃料の臨界核分裂反応が起こっていた.
燃料と言っても通常の意味での燃焼ではない.核分裂臨界反応では強烈な
中性子の嵐の中に原子炉は曝され続ける.10年,20年と使い続けて金属の劣化
は大丈夫のかという疑問が当然生じてくる.しかも福島第一原発のような沸騰水型
軽水炉(BWR)の場合には,7メガパスカル(MPa)のような高い圧力の下,280℃で
沸騰する水からの高温高圧水蒸気でタービンを回さなければならない.このような
過酷な条件で働き続けた鋼鉄が緊急時の激変する環境下でどような特性を示すのか,
その脆弱性を危惧する声が早くから識者より出されていたと聞く.だが圧力容器の
外側にはさらに厚さ3cmの鋼鉄製格納容器がある.これを突破するような壊滅的
汚染が起こりうるなどと何人が想像しただろうか.

フクシマ・クライシス;発端
 3月11日14時46分(JST)頃,福島第一原発は東北地方太平洋沖地震と,それに
続く大津波の来襲を受けた.直ちに圧力容器の下部から制御棒がせり上がり原子炉
は自動停止したことは言うまでもない.しかし15時41分には驚愕すべき事態が発生し
た.外部からの電源を失っただけでなく,非常用発電機が一台を除いてすべて故障
停止におちいったというのだ.フクシマ・クライシスの開始である.この時点で危機の
可能性を予測し,慄然としたのは専門家の一部,ないしは原発緊急停止の特性を知
る限られたもののみであろう.放射性物質の拡散も無ければ,その後矢継ぎ早にお
こった”建屋”の爆発も無かったのだから.しかし,そのころ原子炉内では恐るべき速さ
で新たな事態が進行していた.

▲「停止」のイメージとは異なる原子炉の特性
 原子炉の「緊急停止」は家庭用電気器具のパワー・スイッチをオフにすることとは
いささか事情が異なる.確かに全制御棒はスクラムと呼ばれる核分裂反応停止位置
セットされていただろう.しかし核分裂は停止しても,核分裂生成物の放射性崩壊
は人間の力で停めることは出来ない.この崩壊に伴なう放射線の熱エネルギーは
核分裂から生じる熱エネルギーの数パーセント程度であり,しかも時間経過と共に
ゆっくりと減少していく.しかし,数パーセントである!もしこの崩壊熱を減少させること
ができなければ,燃料棒とそれを覆う被覆管はたちまち500度,600度と止めよう無く温
度が上昇していくことになる.つまり原子炉の安定的な停止は,悲観的な表現をすれ
ば数ヶ月以上にわたる崩壊の危機との戦いの末勝ち取ることの出来るとりあえずの安
定状態と言えなくもない.全電源喪失はこの戦いの手段を失ったに等しい程の緊急
事態である.

▲炉心と容器をめぐる危機の成熟
 地震当日16時36分,原子力安全・保安院は1,2号機で非常用炉心冷却装置注水
不能を確認発表した.すでに屋外発電機は海水をかぶり壊滅,海水による冷却は停
止している.圧力容器内では崩壊熱により圧力が急速に高まり,リーク弁から格納容
器に向けて激しくを蒸気が流れ出たに違いない.しかしリーク弁は本当に正しく機能
したのだろうか.それを判断するデータは無い.あるいは,他の破損箇所が有って,
圧力容器から格納容器への蒸気の急激な流入が有ったのかもしれない.これらは
推察である.しかし,1号機に関しては12日1時20分,2号機では14日22時50分,
そして3号機では14日7時44分,あいついで格納容器圧力異常上昇が通告されている.
必然的に圧力容器の水のレベルは減少することになり,格納容器の圧力は増し
続けることになる.鋼鉄製格納容器は放射性物質を封じ込める最大の砦として設計されて
いるが,前述したように厚さは3cm程度しかない.設計耐圧限界を超えてなすすべが
無ければ爆発の可能性は増す.原子炉の実質的な危機管理中枢がどこにあったのか
不明であるが,とにかく,ベントとよばれるリーク処理がなされたのは当然であろう.
しかし,炉心ではさらに深刻な事態が進行していたはずだ.水素の大量発生である.
水面から露出した燃料棒は崩壊熱で発熱,燃料ペレットを覆うジルコニウム製被覆管と
水が高温で反応すれば水素の発生は避けられない.もちろん窒素環境下では水素の
爆発は避けられる.どこで大量の酸素と水素とが遭遇するかという問題である.
1,3号機では水素爆発は原子炉建屋で起こった.2号機でも爆発が起こったが,
何故かこれは水素爆発だとは断言していない.今の格納容器内に有る窒素ガスの
レベルがどれほどのものか,水素ガスの新たな流入が避けられないとすれば,
急いで外部から窒素ガスを格納容器に送り込む必要があるはずだ.

▲爆発的汚染物質飛散の危険性は去っていない
 4月3日時点で,報道の多くは2号機タービン建屋から漏れ出る放射性物質の
追跡に集中しているかに見える.しかし,真に恐るべき大惨事はこの漏洩にあるのだ
ろうか.原子炉事故の最大のターゲットは爆発的な汚染物質の飛散にあることを なぜ強調しないのだろうか.もちろんその危機が去ったのならこの雑文は意味が
なくなるし,そうあって欲しいと切望している.だが公式に発表される原子炉関連の
データ値が,計器の正常性を確認しての値かという疑問が湧いてくるのは何故だろう
か.堅牢な容器の内部を何者も見ることが出来ないことは良く分かる.それでも,各数
値を有りうる現状とつきあわせてみれば,矛盾点も浮かび上がり現状はより鮮明に
なるだろう.高度な技術を踏まえた解析を行っているはずの技術集団の姿が一向に
見えてこないとすれば,そのような存在は幻ということだろうか.危機管理の全権を任
せられた特別チーム(東電や行政府を越えた),その不在はこの国のリクルート
仕組みを反映し,危機を増幅してはいないのだろうか.
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●溶解する地方都市と郊外SCの急成長;灰から生まれたぴかぴかでぺらぺらな不死鳥 [街]

■近代の都市の誕生として真っ先に思い浮かぶのは19世紀のロンドンであろう.
産業革命期の圧倒的活力と財を吸収して,大都市病理の総てを飲み込みながら
長期にわたりロンドンは近代都市の典型で有り続けた.サンボリズムの詩人
ランボーはその散文詩,「町々」でその不思議な印象を次のように書きとめて
いる.

”近代蛮族文明のもっとも巨大な着想も思いも及ばぬ堂々たるアクロポリス.
じっと動かぬ灰色の空が作る鈍い陽ざし,築きあげられた石の王者の
ごとききらめき,地上の永遠の雪,これらは言い表わしようもない.異様な
巨大好みによって,古来世に認められたありとあらゆる建築の驚異が
再現された.おれは,ハンプトン・コートの何十倍も広い場所で絵の
展覧会を見物する.その絵がまたすさまじい!”
(ランボウ全作品集,思潮社,粟津則雄訳,p.399)

ランボー肖像byFR.jpeg
ファンタン=ラトゥール(1836~1904)によるランボーの肖像画

別の町の詩で,ランボーは宿の窓から”濃くたちこめた石炭の永遠の煙の
なかを”さまよう人々を眺めるのだが,それは復讐の三女神にも似た亡霊
,つまり”涙もこぼさぬ死の女神,おれたちの世話をするあの働きものの
小娘に,絶望した愛の女神に,往来の泥にまみれたひいひいと泣きわめく
小ぎれいな罪の女神に”も似た亡霊のような人々と言わしめている.
この時ランボーがもし水道水を口にしたなら,ロンドンの印象はさらに
強烈なものになったかもしれない.近代創世記のロンドンでは排泄物は
下水道を通じて容赦なくテムズ河に放出された.その汚物まみれの
テムズ河の水は,水源として上水道にそのまま還流されたのだから驚く.
しかし,エネルギーと物質の時代をリードした近代ロンドンの活力は
その後も衰えることなく国際的大都市へと向かって脱皮を繰り返し,ナチス・
ドイツの激しい空爆をもしのいで世界都市の位置を不動のものにしていった
ことは僕が触れるまでも無い.

1979マンハッタン.jpeg
1979年,エンパイア・ステート・ビルディング展望台より見たミッドタウン

■ロンドンのような開かれた国際的大都市の活力の歴史は他の巨大都市の
歴史とも重なる.100を越える言語が飛び交うニューヨーク市などは,
犯罪都市の汚名を乗り越え,依然として世界の経済,文化の震源地で有り
続けている.東京にしても,パリにしても,メトロポリスとしての活力は
一向に衰える気配が無いのだ.「都会の孤独」や「殺伐たる自然環境」が声高に
叫ばれながら,巨大都市が一方的に富や文化を旺盛に吸収・消化していく
のに対して,一方では,豊かな自然を背後に有するはずの地方都市の多くは
溶解ともいえる衰退の中であえいでいるのはなぜだろうか.例えば僕の住む
人口20万の甲府市もまた絵に描いたようにその衰退の道を歩んでいるかに
見える.休日でもアーケードの下を行き交う人影もまばらで,夕暮れには
早々と店をたたむシャッターの音ばかり,場末感いっぱいの道路では
ソープランドの呼び声が侘しくこだまする.無料の駐車場など期待すべきも
ないから,食事も,買物も広い駐車場をそなえた郊外へと車を走らせる
ことになる.市内中心部という言葉がもはや意味をなさないのだ.
街はどの角度から見ても崩壊しつつある.そして,その空虚の空白を
埋めるかのように,郊外には巨大なショッピングセンター(SC)が林立
する.

ラザウォークSC.jpeg
甲府市北西部,甲斐市に最近出現した巨大なSC.八ヶ岳を眺望する.

■この流れはもちろん今に始まったことではない.郊外型大店舗の進出に
歯止めをかけようとする動きは,複数の動機により二昔以上前から絶えず
蒸し返されてきたが,それらは一向に甲府市再生とは結びつかなかったという
現実が有る.それがここにきて一気に大店舗の攻勢へと向かわせているのだ.
甲府市に隣接する甲斐市では釜無川に沿った田畑が大規模に造成され,
忽然と大SCが2年前に誕生した.周辺の購買意欲を掘り起こしているだけ
でなく,休日ともなればかなり遠方から買物に来たと思われる若者達が
塩崎駅から吐き出される.驚くべきことにこれより巨大なSCが,これまた
甲府市に隣接する昭和町で建設中だという.ここには大型シネコンの入居
も予定されているので,単なる買物施設を越えた社交の場が誕生するのかも
しれない.

昭和SC.jpeg
昭和町に建設中のSC.当初の計画より大幅に縮小されたが県下最大規模になる予定.

■しかし,この空しさはどこから来るのだろうか.全国どこにでもある
千篇一律の建築物,そのなかには同じような商品が,同じように並び,
同じような幸福が演出されて,標準語が同じような話し方で交わされる.
あくまでも明るい建物の外装は,良く言えば軽快,悪く言えばぺらぺらで
安っぽい.おそらく10年もすれば色あせて,次の建て替えが話題となるのだ
ろう.このような風景が人々に刻印していく世界とはどのようなものだろうか.


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■香りの内と外;物語と嗅覚 [香]

●高度に洗練された調香によって初めて成り立つ現代の香水は,
正確なことは知らないが化粧品市場でかなりの比率を占めている
のであろう.このよそよそしい表現は僕の直裁で粗野な生活と関係が
ある.要するに,僕の場合ココ・シャネルがいうところの「完成された
雄弁なコスチューム」などと無縁な生活に明け暮れているのだ.

●一方,現実世界から立ち昇る匂いに関しては香水を駆逐する
異様な力を感じる時がある.詩人;ヨシフ・ブロツキーの場合それは
”凍った藻の匂い”であったりする.
「その夜は強い風が吹いていた.なにに目を留めたというわけでもない
のに,突然恐ろしいほどの幸福感につつまれた.ぼくにとっては
『幸せ』と同じ意味をもつ,凍った藻の匂いを吸いこんだのだ.
ある人にとってそれは刈り取ったばかりの草,あるいは干し草の
匂いかもしれない.また別の人にとってはクリスマスの樅の木や
オレンジの香りかもしれない.ぼくにとってそれは凍った藻の匂いだ」
(ヴェネチア・水の迷宮の夢,ヨシフ・ブロツキー,金関寿夫訳,
集英社,1996,p.9)
この匂いにはもちろん調香師はいない.また匂いを装う人の意図
とも無縁である.そこにただ在る匂いが何故ある種の感覚を根底から
揺さぶるのか.

焚き火1114c.jpeg
完全に燃焼しきれない焚き火から立ち昇る煙は,形容しがたい匂いを辺りに放つ.

●匂いには一種の物語がつきまとうのではないかと思うときがある.
もちろん物語は匂いと併走し,匂いに融けることはない.それでは
その物語は完全に特定の匂いとは独立の偶発的な符号かというと
そうでもないように思う.この物語は抽象的物語であり,象徴であり
うるからだ.

「この世のどんな果実にも満足しない私の飢えは,
巧みに創り出された果実の欠如の中に,不易の風味を見出す.
例えば想う,人肌の香しい一つの肉の果実が輝き出るようにと.」
”マラルメ 詩と散文”,松室 三郎訳,筑摩書房,1987,p.34

●僕の場合,枯れ木や干し草が生の痕跡を失うときの匂い,つまり
焚き火から立ち昇る煙がブロツキーの凍った藻に相当するらしい.
傍らに誰か居るとか居ないとかとは関係ないから,ことさら思い出
を詮索しないことにしている.この焚くという行為はくだんの香と
深くかかわっているから面白い.香木の王者である沈香は,線香に
の主成分の一つである白檀などとは違い,熱をかけたり燃やしたり
して始めて強い芳香を放つようになる.木に閉じ込められていた
匂いの成分が熱によって大気中に解き放たれる,そこに何か物語り
を感じるのだろうか.無縁として文脈からはずしたシャネルno5に
もう一度戻ってみよう. 

線香の煙2.jpeg
線香の匂いの元は白檀やタブの樹皮が一般的であるが時に沈香にも由来する.

●ココ・シャネルのリクエストに応じて,すでに調合していた10の
創作品を直ちにココに試供できた調香師;エルネスト・ボー
( Ernest Beaux)は,その独創性として香りの持続を可能にした
アルデヒドの添加の革新性についてしばしば言及される.しかし,
ボーの独創性はそのような調香の技術に還元されるのだろうか.
ウェブを検索すると彼のno5の創意の根底に,かって軍属として
赴いた北欧の地での白夜と,そこかしこに点在する湖,咲き乱れる
花々が在ったとのコメントを発見した.引用ソースが不明のため
これが真実かどうか断言できないが,もしそうだとすれば香りと
視覚的イメージとのリンクがあらかじめボーの中に形成されていた
ことになる.

シャネル香水.jpeg
シャネルno5には黒が似合う.調香師の意図とココ・シャネルの美意識が共鳴したのだろうか.

●no5の香りを色で表現するなら黒と闇のなかのほのかな光だ.
香りについて鈍感な僕の印象だから,これは微妙な階調を区別しての
見解ではもちろんない.嗅覚と視覚のレシプロカルな戯言である.
悲劇的な最後を遂げた美しい女優が,夜毎no5の香りを纏って
眠りについたという話は良く知られた伝説であるが,この女性は
すでに眠りのなかで黄泉を旅していたとも言える.闇に魅せられた
人は狂気を生きているのだから.
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■意識的にでも無意識的にでもなく [絵画制作と絵画論]

●今回仕上げた一号程度の小品は抽象度が過激ではなく,
比較的なじみやすいものに仕上がったように思う.結婚祝い
記念品としての作品だから,自分の勝手な好みを暴走させるのを
抑制したのかもしれない.とは言っても懸案の追求を放棄した
わけではないので,制作に集中しているといろいろ今後の方向性
についてヒントを得ることが出来た.

nonVnonInvW.jpeg
「non-voluntarily non-involuntarily」, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料

●対象を特定しないということで一般には描画の発想を,無意識に
湧き上がる泉の中から熟成を待って汲み上げるイメージを持たれる
方が多いのかもしれないが,僕の場合は必ずしもそうではない.

nonVnonInvP1.jpeg
「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料

●無意識で絵具と板切れに向かい合っていることは確かであるが,
それとは別に何ヶ月もまるで強迫神経症のように響き渡っている
手に負えない難問が有って,これはもろもろのテキストやモノグラフ
の批判的検証,映像や体験の引用を含む意識の奔流の中で
もがき苦しみ浮沈している.
絵画を孤立した感覚の特殊な領域として割り切る考えかたもあるが,
絶え間なく流れ込んでくる情報の荒波と制作とは無縁ではなかろう.

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「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料

●しかし他方ではそのような時代感覚に左右されない絶対的とも
いえる世界を感じる瞬間が有って,それが季節の移ろいや
梢を渡る風の音,光や闇が織り成す目に見えない織物と
共振して胸が苦しく成る時がある.こういったことは皆森の中
の幻想にすぎないのかもしれないのだが・・

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「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料


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■抽象絵画の個体発生;①眠りの中の異界&真実 [絵画制作と絵画論]

●抽象絵画の創始者としてウィキペディア (Wikipedia)は慎重なもの言いながらも
カンディンスキーの名をあげ,その時期を1910年頃としている.
これはカンディンスキー本人のインタビュー記事とも整合するものであり
一つの美術史的見解かもしれない(ニーレンドルフのカンディンスキー
会見記;1937年3月,ニューヨークのニーレンドルフ画廊でカンディンスキー
の個展が開かれた.この個展に先立ちカンディンスキーが受けたインタビュー
記事がここにいう「ニーレンドルフのカンディンスキー会見記」である.
以下のサイトにはSE(DBエンジニア);ミック訳の本会見記が公開されている.

http://www.geocities.jp/mickindex/kandinsky/knd_interviewN_jp.html ).

しかし,ここでいう抽象絵画の登場を近代絵画の様々な潮流
との関連で追跡するなら,単独の「創始者」とは異なる歴史絵巻
が浮かんでくるようにも思う.残念ながら美術史の門外漢である
僕には資料を渉猟し,それを分析するだけの力量はない.

●一方個人的なことにひきつけて考えると,近代の抽象絵画が登場して以来
50年以上も経過した時点で古い絵画様式の呪縛から四苦八苦して脱皮
を繰り返し,それから10年,20年をかけてようやく抽象画にたどりついた
周回遅れの間抜けな美術家の僕には,個人の精神史としての必然の方が
興味がある.もっと分かりやすくいうとなぜ生きている現実世界が持つ豊な
イメージを捨てて,抽象化された色や形に絵画的魅力を感じるのかという
ことである.私設の個人的ギャラリーで作品を展示して頻繁に経験して来たことは,
毎回のように発せられる”何を描いたのか”という客からの質問であった.
画面以外に解答を求める発想は決して過去のものではない.
一方で西洋近代絵画史の初頭に花開いた新古典主義,ロマン主義,写実主義
など主題を前面に押し出した諸作品の表面をなぞると,非具象を特性とする
抽象絵画とはおよそ関連のない別の水脈の表現のように思えるだろう.
しかし,本当に絵画の水脈はそのように分断できるものだろうか.
相互に否定の関係で結ばれている諸潮流とは,つきつめたところで否定の
異界に跳躍した家出息子のようなものである.

眠りWs.jpg
「眠り」,1964年?, 志田 寿人,紙にクレヨン

●ここに一枚のクレヨン(さくらクレパス)画がある.未だ抽象画に到達する
以前の作品で,大学時代に仕上げられた未発表の古典的習作である.
青緑の沈んだ色調を背景に目を閉じた青年がうつ伏せに近い姿勢で
横たわっている.ただそれだけの作品だが,どこか現実感が無いような
有るような人物像はおそらく当時の自分自身を投影し,分析的にとらえた
ものであろう.目に見える具体的な世界があたかも真実に迫るための
障害であるかのように目を閉じて観ようとはしない,その姿勢からこそ
真実が見えてくると思っていたのだろうか!?このよう目を閉じ,眠りに
落ちたような人物像は幻想絵画に魅せられた画家の作品にしばしば
登場する.

ゴヤ43.jpg
気まぐれ(ロス・カプリチョス)』より,「理性が眠れば妖魔が生まれる」,1799年,ゴヤ,銅版画

ゴヤの版画連作;「ロス・カプリチョス)」の一枚,
「理性が眠れば妖魔が生まれる」は良く知られているが,他にルドンの
「目を閉じて」がそれだ.面白いことにクレーにも「absorption」なる作品がある.
これらの作品の絵画的魅力はもちろんこのような観点から生まれるわけでは無い.
ただ,具体的対象物から画家の関心が何故離脱していくのかという
その一点から現実との対処のしかたを問題にしているのだ.

目を閉じて.jpg
「目を閉じて」,1890年,ルドン,キャンバスに油絵具

KleeAbsorption.jpeg
「Absorption」,1919年,クレー,紙に鉛筆

●”大切なものは見えない”は「星の王子様」のなかの良く知られたセリフである.
これは常識ともいえる真実であって,なにごとかの表現をもっぱらとする絵画
特有の考え方ではもちろんない.芸術で括られる様式の中でも音楽では
芸術的真実は当然見えないとの了解がある.詩も物語りもそうではないのか.
だとすれば,むしろ見慣れてきた具体的対象物に密着させて絵画的意図を
実現させようとしてきた具象絵画こそ,芸術のありようを誤解させる例外的存在
だとはいえないのか.分かり易くいおう.そもそも我々が見える世界は,世界の
ほんの一部である.視覚が感知できる波長は狭く,見える物体像は分解能の
制限を受けて本当に大切なものは見えない.しかもこれは事実を争う科学の
世界だ.我々が本当に大切だと思っているものはどうか.愛情とか,誠実とか,
友情とか,正義とか,殆どが見えないところに我々も迷妄の根拠があるのでは
ないのか.即物的な面にこだわる絵画は芸術の呪われた形式かもしれない
という疑惑が黒雲のように湧き上がっても不思議ではないだろう.だが,
その時天啓のように一つの言葉が鳴り響くのだ.目を閉じよ!と.



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■水についての小さなエピソード ③波濤または解放の黙示録 [絵画制作と絵画論]

 昭和20(1945)年7月6日深夜,山岳の中核都市甲府は131機の
B29戦略爆撃機が容赦なく落とす970トンの焼夷弾を受けて
炎上,消失した.2万6千戸の住宅の7割が被害を受け,市街の
中心部の焼け野原には黒焦げの遺体が散乱した.暗黒史に残る
甲府大空襲である.甲府市の戦後復興はこの焦土無しには語る
ことは出来ない.ところが敗戦と同時にバラック小屋の建設が始まり,
水道,電気,通信等のインフラも困難をおして着々と進行していった.
翌1946年には戦後初めての市制祭が開催され,愛宕山からは打上
花火が上がったというから驚く.あまり落ち込まない国民なのだ.

 治安に関しても,夜道が恐くて歩けないという犯罪都市には
ならなかったが,これには治安を担当する警察が自治体警察として
早くから再建され,質的低下が大きな問題にならなかったことが
幸いしたのであろう.父が甲府警察署の署長として治安の任に
あたったのは戦後数年もしない激動期で,官舎から早朝の朝礼や
点検の姿を観たことを憶えている.

1950年代警察訓練.jpeg
1950年代初めの警察早朝訓練の光景

 その父が何かの所用で上京する機会が有り,はっきりとは
理由を憶えていないのだが一緒について行くことになった.
小学生の自分には何がどうなっているのか分からなかったが,
甲府署の建物とは比較になら無いような巨大なビルに連れていかれ,
入口の木製の椅子で父の用件が終わるのを大人しく待っていた.
しばらくして父が,言葉使いの丁寧な一人の紳士と連れ立って戻って
来た.「これがうちの豚児で・・・」と息子の頭をなでながら二人とも
楽しそうに笑っていたのを思い出す.それから父と僕は車で
海岸に移動し,比較的小型の船に乗り込んだ.10m以上は有った
と思うがそれがどのような性格の船かは定かではない.艇はエンジン
音と共にしぶきをあげて走り出した.それまで高速艇に乗ったこと
がない僕には夢のような瞬間である.それが,湾内を抜けると緊張に
変わった.いきなり大波が襲って来たのだ.船内で足をふんばり
手すりにしがみついていたが,ふと見あげると心配そうな父と目が
合った.小山のような波に向かって船は突き進む.そこからまた
谷底に滑り込むという具合で,船は上下左右に激しく揺れた.
爽快とも思える感覚!波濤を越える体感が記憶の中にしっかりと
刻みこまれた.

第九の怒涛.jpg
19Cロシアの画家アイヴァゾフスキーによる「第九の波濤」,1850年,油彩

 荒波に魅せられた画家は少なくないが,芸術的到達度から見ると
傑作はそう沢山は無いように見える.海洋画家としてウィンズロウ・ホーマー
とならび賞賛されるロシアの画家;イヴァン・アイヴァゾフスキーは
どうであろうか.2007年,国立ロシア美術館のコレクションが上野に
やって来た.その中には「月夜」などアイヴァゾフスキーの名品も
含まれているという.「第九の波濤」は無かったが多少期待するところも
有って上京することにした.1969年,講談社刊,「クレムリン・ロシア美術館」
で作品を目にしていたからである.結果は正直がっかりした.
月光に輝く海など通俗に止まり,ロマン主義の核心部分;死と生の相克を
突き詰めての作品とは思えない.これは同会場に飾られていた
レーピンの大作;「何という広がりだ!」の無残な出来とも関係がある.
この時代のロシアのリアリズムの作品群は旧ソ連の社会主義リアリズムを
先取りしているようで,一種の絵画的後進性を感じたのは僕だけだろうか.
なまの主題への依存が芸術的緊張を二の次にしているように思えるのだ.

クールベ波1870.jpg
クールベ,「波」,1870年頃,油彩,国立西洋美術館,松方コレクション

 諸流派が興隆した近代フランス絵画の流れの中で,荒海と言えば
クールベの「波」が真っ先にあげられるべきだろう.大学時代,仙台と甲府を
休暇で行き来した時,上野で途中下車し,国立西洋美術館で時間をつぶす
のが習慣になった.その時必ず観たのがクールベのこの作品である.
同じモチーフでクールベは何作も制作しているので他と比較したのかと
言われれば自信は無いが,大波への執拗な追求が観てとれる佳作だと思う.
仕上げた年は1870年,パリコミューンの始まる前年である.すでに
「オルナンの埋葬」をものにして画壇本流に抗し,偽善とタブーに「写実」
という挑戦状をたたきつけた気迫がみなぎっている.クールベは現実の
荒波を前にして,それを越える動き,動乱の時代を見ているのだ.
翌年パリ・コミューンが成立するとコミューン議員に第六区から選出され
市庁役員,文部委員,芸術家連盟会長に就任する.
 この複眼の視点は写実の方法論と矛盾しないのだろうか.海と空に
目を据えれば据えるほど,その具体的な姿から観念は飛翔しようと
しないのだろうか.逆に写実の目は観念を抑圧して,具体的な波の
描写に画家の作業を閉じ込めようとしないのだろうか.多くの通俗的
海洋絵画は迫真の描写力で観るものを圧倒する.あるいは市民的安住の
中で温和な描写を楽しむことになる.要するにカメラの目だ.ここには
描こうとする姿と観念との間に矛盾は無い.クールベのような強烈な自我に
とって,「写実」という方法論は反権威のモチーフに止まれば行く手を照らす
光となるが,象徴性の高い主題では一種の足かせとなる.こうした視点から
再度「波」を読んでみると,空も海もどこか中途半端な描写に見えてくる.

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ターナー,「嵐の中のオランダ船」,1801年,油彩

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ターナー,「吹雪ー港の沖合いの蒸気船」,1842,油彩

 写実という絵画的方法論は一時の中継点のようなもので,一度観念と
描写の均衡が破られれば後は雪崩のように崩壊することなるだろう.
クールベはその一歩手前に止まった.実体に拘ったのである.
現実の波の姿を打ち破って,絵画的冒険に歩をすすめた開拓者の
一人は19Cイギリスの画家,ターナーであろう.かれの比較的初期の
作品は戦闘的ロマン主義の典型ともいえる劇的風景を好んで描いている.
ターナーもまた内なる嵐をかかえての変革の人だ.しかしクールベと異なって
ターナーにはプルードン主義のような空想思想にのめりこむ運命を
背負ってはいない.ターナーの沸騰するエネルギーが向かったのは
絵画的光の中で,色彩を形態から飛翔させ,両方の調和を破る
ことである.これはドラクロアにも言えることで,印象派の先駆を
ターナーだけに求めるのは僕には公平な評価とは思えない.
いずれにしても,絵画における形態や色彩はその有り方を根本から
揺り動かす方向で動き始めた.

海景S.jpeg
SHIDA, 「波濤」,油彩,F120号,1965年頃?

 とすれば,その後の印象派の動きは,外光の中で捉えられた
一面といえなくも無い.つまり印象派が嫌った夜の世界ではまた
別の絵画的原理が働きうるということである.さらに展開すれば,
光と闇がせめぎあう世界では,第三の絵画が生まれうると
いえないだろうか.これはまったく個人的な気質の問題かもしれないが,
大学時代,僕には印象派的絵画の氾濫がどうしても馴染めなかった.
ゴヤの晩年作がモネの睡蓮で蹴散らされたと言われても困るといった
理屈である.そこで思い立ってF120号の油絵;「波濤」の制作に
とりかかった.仙台から近郊の菖蒲田海岸までバイクで一時間半
もあれば海を観に行ける.昼だけでなく,月光の深夜,大波の
押し寄せる日を狙って何度か出かけた.どのくらいで描きあげたのか
忘れたが,授業や研究を縫っての制作でそれほど時間はかけられ
なかったはずだ.ところがこの大作は幻の作品となって今は無い.
もうとっくに時効だからは白状するが,自分の手で破り棄てて
しまったからである.理由はさる地方新聞社主催の公募展に応募し,
見事に落選したことがきっかけとなった.どこかが決定的に未熟だった
のだろうと,入選作を観に行き2度ショックを受けた.このような
素人の手遊びと比較され,相手にもされなかったのだと思うと
怒りを抑えることが出来なかった.この類の落選が数回続き,
日本の公募展に応募することを止める決断をしたのはそれから
数年後である.退路を絶つためにも身近にあった過去の作品は
総て破り捨て,出直すことにした.他人に寄贈したものはどうなった
か分からない.何万円かで購入していただいたものはどこかで
生きているのだろうか.
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水についての小さなエピソード②シュトルム;「みずうみ」の深淵 [水]

●法律家&詩人&小説家シュトルムと言ってもなじみの無い方が多い
かもしれない.北ドイツの港町フーズムに生まれ19世紀の著名な
作家,日本では新潮文庫や岩波文庫等に翻訳されている「みずうみ」が
良く読まれているという.しかし,僕が最初に出会った作品はこの
「みずうみ」では無い.最後の小説で代表作とも評価される「白馬の騎者」
がそれで,小学校6年生の時だったと思う.なぜこの角川文庫「白馬の騎
者」(関 泰祐訳)という,いささか手に余る本を手にとる気になったの
か,思い出そうとしてもまったく記憶の底から浮かび上がってこないの
で,6年生という歳を考えれば冒険小説と勘違いしたのではないのか.

新田ため池昼1.jpeg
以前紹介した工房付近の溜池.シュトルムのImmenseは架空の湖であるが睡蓮からして池に近いのでは

●物語は北フリースラントの嵐の夜から始まる.語り手の私は自分の愛
馬の蹄も見えないような薄暮の中,宿を求めて凍えながらひたすら馬を
駆って堤防をひた走っていた.左手は荒涼たる湿地,右手は北海の荒波
が堤防をたたき続ける.不安が極点に達したかという時,彼の行く手か
ら半月に浮かぶ一つの黒い姿が近づいて来た.足の長いやせた白馬,
黒いマントを肩に翻した人,すれちがいざま燃える二つの眼,これは
何者か.私が宿にようやくたどり着いた時,この目撃談はたちまち宿の
客達の会話を凍らせてしまった.一人の小柄な老人がこうして「白馬の騎
者」;ハウケ・ハイエンの長い物語を語りだすのだ.非凡な才能を持つ少
年ハウケは長じて北海に面したこの低地の堤防監督官となった.旧堤防
の決壊の危険性を知る彼は新堤防の建設を決意し,それの実現に漕ぎ着
けるが,同時に個人的利害だけにとらわれた民衆の怨念や迷信をも新堤
防に閉じ込めることになる.そして10月の激しい嵐の襲来,つなみのよ
うな高潮と動揺する住民の怒声の中で旧堤防は決壊する.その濁流の中
には白馬の騎者;ハウケとその一家の姿も・・・.ということで老人の
話は終わるのだが,正義の壮絶な敗北の物語に6年生の僕はそれをどのよ
うに消化してよいのかとまどった.

新田ため池昼2.jpeg

●読書の衝撃というものは不思議なもので,シュトルムの名前はそれか
ら何年も記憶の引き出しに留まり,大学生になってから「みずうみ」と遭
遇することになる.ただし,このラインハルトとエリーザベトの実のら
なかった恋の物語にハウケのような壮大な悲劇性は無い.しかし,逆に
シュトルム個人の体験から見れば,切実さにおいてどうだろう.シュト
ルムの一生にはどこか怒りを含んだ静けさを感じるからだ.「白馬の騎
者」の語り手の老人は最後にこうつぶやく.「ー権力者や,頑固な悪僧を
聖者に祭り上げたり,有為な人間を,ただ少し並外れているからという
理由で,お化けや幽霊にしてしまったりするーそういうことはまだ毎日
おこなわれていますよ」と.これと同じ文脈でラインハルトの嘆きをみる
なら,それは”おかしなこと”がまかりとおることへの怒りだろう.母
の望みを優先して,幼い時からのラインハルトとの約束をエリーザベト
は裏切り,アルコール工場の跡継ぎと結婚したのだから.しかし,この
良くある通俗的エピソードに拘ったならシュトルムは凡庸な作家で終
わったにちがいないとも思う.

新田ため池夜.jpeg
写真を画像処理.青緑を増すとそのまま夜間の感じになる
●「みずうみ」で僕が最も魅かれたのは,プロットの妙ではなく,ライン
ハルトが行動の中で見せる森や湖との形而上学ともいえる深いかかわり
である.傷心のラインハルトが夕闇の湖に泳ぎだす一節を引用しよう.
「森は静かに,その黒い影を遠く湖上に投げていた.湖心のあたりには
おぼろな月の光があった.時おり木々の間にかすかなざわめきが聞こえ
る.風ではない.夏の夜の吐息なのだ.ラインハルトは岸で伝いに歩い
て行く.石を投げれば届きそうなところに白い睡蓮の花が一つ見える.
急に,その花の近くに行ってみたくなった.ラインハルトは服を脱ぎ捨
てて,水に入った」水は泳ぐほどの深さではないが突然深くなる.水面下
に沈んだ後,手足を動かして円を描きながら泳ぐ彼の目に寂しくさく睡
蓮の花が捉えられた.「彼は花を目がけてゆっくりと泳ぎ始めた.そして
時々水中から腕を上へあげてみた.したたり落ちる水の滴に月影が宿っ
ていた」しかし,睡蓮の花との距離は同じように見える.岸辺の輪郭がぼ
やけていくが彼はなおも泳ぎつづけ,ついに睡蓮の間近まで来た.
「白銀の花弁が月光の中にはっきりと見定められた.同時に網かなにかで
体が巻かれるような気がした.ぬらぬらする茎が水底からのび上がって,
彼の手足にからみついた.水は気味悪く黒々と拡がり,後ろの方では魚
の撥ねる音がした」(高橋 義孝訳,新潮文庫より).
 美しい光景の背後に死が見え隠れする.ゲーテの「旅人の夜の歌」もそ
うであるが,ドイツ文学の背景には有限な命を持つ人間,生き物と,そ
れをつつむ永遠なるものの相克が潜んでいるように思う.

新田ため池夜2B.jpg
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