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■②歌うように語ったのは誰? [音]

●竜が踊るための道具
 一般に琴(こと)と呼ばれている楽器は共鳴胴の表面に張られた弦を琴爪
ではじいて音を出す.音色は一音だけで慣れ親しんできた西欧撥弦楽器の
いずれからも区別される独自の表情を有している.かって琴の名曲集を
米国人の友人にプレゼントしたことが有るが,「奇妙すぎる」の印象で彼は
2度と聴くことは無かった.大気や風土,生き物の気配も含めた一瞬の風景が
僕等の感覚と西欧の感覚を峻別するのであろうか.この楽器の表板材は
母に聴いたところ桐材で,正目ではなく木目が複雑な方が評価が高いという.

竜頭.jpeg
槽の表面はくすんで重厚な感じがするが材質は桐である.弦が発する処;すなわち竜眼の前方は竜額と呼ばれる.

表板の専門用語として櫓となる名称が使われているが,その緩やかな
湾曲や厚みが音に大きな影響を持つように見える.これに竜背と呼ばれる
裏板を張りつけているのであるが,竜の身体になぞらえた名称は他にも有って,
例えば琴の弾き手側頭部は竜頭,尾部は竜尾,弦の発する穴は竜眼等と言われる.

竜尾.jpeg
竜尾では弦は表層で終わらず,槽を回り込んで背に到る.

竜背.jpeg
槽後方の裏側(竜背)はくりぬかれて弦を収容している.背の桐材は思ったより厚く見える

 琴の独特の構造として顕著な点は,竜角と雲角というせり出しの間に
ぴんと張られた弦を途中の柱(琴柱)で支えていることであろう.こうすれば
弦の緊張を調節しなくても音程を変えることができる.この構造を持つものは
厳密には筝(そう)と呼ぶべきで有って,柱を持たない琴とは区別されるべきだと
いう.しかし,いつのまにか筝にたいして琴の呼称が定着してしまった.

琴柱.jpeg
琴柱はことじと読む.この位置を調整して音調を整えるが調弦は平調子だけではなく多数の方式がある.

●振動は弥生時代を越えて狩猟の民に到るのか?
 この筝は奈良時代,唐より伝来したとの記述もあるが,弦を爪弾く楽器としての
琴は日本でも独自の歴史を持って発展してきたとの指摘もある.
例えば埴輪に琴が登場したり,弥生時代の遺跡から琴板の類が発見される
等の事実を考えれば,琴の歴史は想像以上に古いかもしれない.弓に張った
弦は弾けば音を発するのであれば,狩猟の民がその音を逃す筈がないし,
現に梓弓の儀式の中にその残像は残っている.
 しかし,言語における文字のように,音を出すと言う行為そのものの記録
が残っていないかぎり,楽器の存在は音楽の成熟を示す指標には成らないように
思う.なぜなら歌うことが可能な人間の音声装置の存在は,最良の楽器としての
可能性を常に示すもので有っても,それが現実に使われたのかどうかということ
とは全く別問題だからである.


 歌うことのなかった人間が,ある日,ある時,歌うことを始めた.それは誰が,
いつ,何処で,どのようなということになるのだが,問題解明のアプローチさえ
おぼつかない今の段階ではいらいらは募るばかりである.
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■音と見えない文様形成の起源; ①声の変容 [音]

●電話で話すのが苦手
 片時も携帯を手放せないのであろうか,歩行中も,自転車の運転中も
携帯を手にする姿を毎日のように目にする.テレビの報道画面にも臆せず
登場しているので,その類の人口は増えて来ているに違いない.携帯
登場以前にも電話で何時間も長電話をするグループは有った.有線で
あろうと無線で有ろうと,1:1の音声結合で会話が進行するこの形式は,
それにとりつかれた時には抜け出すことが困難な迷宮として働くのだろう.
 一方では僕のように通信手段と割り切って,最小限の時間で会話を
切り上げようとするグループがある.嫌悪というといささかきつすぎるが,
この完全に人工的に作られた会話空間に溶け込めないのだ.先達の
考察を聴いてみよう.
フロイドはどうも電話が好きでなかったらしい.人の話を聞くのが大好き
だったあのフロイドがである.おそらくフロイドは,電話が常に不協和音
であること,そこから伝わってくるのが悪しき声,偽りのコミュニケーション
であることを,感じ,予見していたのであろう」(ロラン・バルト).

●何時でも,何処からでも,安く
フロイドの時代から電話はワイヤーの時代を経てワイヤレス;無線時代の
極限にまで達している.携帯は見えない強力な拘束の鎖で我々を捕らえて,
音信不通の自由空間でいつまでも遊ぶことを許さない.この産業活動の
必然とも言える激変を推し進めた一端は,我々の欲望そのものに起因する
ようにも見える.何時でも,何処からでも,望む相手と話したいという欲望と.
それが技術的に可能に成った今,必要とされるのは欲望の制限であって,
欲望の無制限な解放ではないという新時代が到来する.この自己否定の
動力学は重要ではあるが,自我の崩壊のメカニズムはとりあえず別に置く
ことにして,声としての本質的な意味に何か変容が起こっているのだろうか.

葡萄園・ 父.jpeg

●声は瞬時に誕生し,消える
古いアルバムの中に亡くなった父の写真を何枚か見つけた.それは職場での
謹厳な父であったり,また葡萄園の下で友人と談笑する父であったりするのだが,
くっきりと焦点が合ったイメージは不可解な静けさの中で奇妙な安定を得て
動こうとはしない.声が生きた者の特権であるとすれば死者は何をもって語ろうと
するのだろうか.現実を生きる者といえども,その声は生まれ出た瞬間に消滅する.
永遠という幻想が不動のものと不可分であるかぎり,そしてこの不動も幻想である
のだが,声は”不動”とは相容れないだろう.
「声を成立せしめているのは,その内にあって死すべきもの,そのことによって
わたしを引き裂くものである.声とは,たちまちにして記憶と化すもの,それ以外
にありようないものに思える」(ロラン・バルト).

波紋2.jpeg
周囲には農業用水用と思われる溜池がいくつか点在している.

瞬時に消える声は他者の脳のしかるべき位置に格納される.つまり死すべき
声は他者の脳の中でのみ蘇生するのだが,それは翻訳され意味を付加された
声であって,声そのものではない.会話というのはこうした延々と続く翻訳
の作業でもあるのだ.そこで声には高低,強度,速さ,テンポが当初から
必然的に加わった可能性がある.語ることとは,実は当初から歌うことを孕んで
いたというのは言いすぎだろうか.
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