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■森の近景③;赤いろうそくが里山に消える [森]

桑畑より.jpg
旧県立蚕業試験場跡地.里山の一角を形成している.移転後は完全な放置林である.

 ●工房は田畑や果樹園から100メートルほど山側に登ったところに
位置するので里山の中ということになるのだろうか.太古からの森林環境を
考える上で真っ先に疑問に思ったのはこの地の本来の植生はどうだった
のかということである.眼前に広がるこの植生を,定量評価は別として単純に
印象だけで記述すると,最上部を形成しているのがアカマツで,完全に
光をさえぎることが無いためであろうか,それよりやや低いところを中心として
コナラ,ヤマザクラ,クリ,マルバアオダモ等の枝が光を捉えようとひしめいている
ように見える.地表部近くはどうかというと,人手が入らない”放置林”の相貌
そのもので,倒木が朽るにまかせてころがり,人も動物もよせつけないかのような
ツルバラ,ススキ,ウルシ,アメリカヤマゴボウの壁を乗り越えてさらに猛然とクズ
が覆いかぶさるすざまじい荒廃の風景がそこかしこで観察される.僕の乏しい
林学の知識ではこの雑然と広がる光景の真相に分け入るのは簡単では無いが,
現実の網目を飛び越えて論理だけたぐりよせると意外に単純な筋書きが
浮かびあがってくるように思えた.

コナラのどんぐり.jpg
アカマツとならんで主要高木となっているコナラのどんぐり.2008年10月17日撮影

 ●森林の樹木相が一定のところで安定した時これを極相と言うが,この極相の分布
と年平均気温は密接な関連を持つため,樹木の分布に対して森林帯という概念が
用いられる.本州の中部地方以北および北海道西南の低地は森林帯としては
平均気温が6~13℃のブナ帯に,本州でそれより南の低地,四国九州沖縄
一部などは平均気温が13~21℃となってカシ帯に分けられる等がそれである.   
甲府の年間平均気温は14.3℃でカシ帯に入ることになる.とすれば本来の植生
は陰樹であるカシ類,シイ類を主とした常緑広葉樹林ということになるが,
上述したように周囲にはシラカシ,アカガシ,アラカシ,スダジイといった常緑高木は
見当たらない.これをどのように解釈したら良いのだろうか.

葡萄畑の裏.jpg
里山と隣接する葡萄畑の裏.何の手入れも入っていな木々の幹にはツタがからまり, 地表近くではススキの乗り越えてクズが蛇のようにせまっている.

 ●ちょっと考えれば気が付くことであるが,資源としての森林の歴史は人間による
開発,利用,さらにきつい言葉で言うなら簒奪の歴史でもある.絶えざる伐採
という人為的撹乱を受けない森林など特殊な例を除いてほとんど存在
しないはずだ.長期の人為的撹乱を受けたカシ帯はどうなるのかを調べる
謎が解けたように思えた.カシ,シイ類を中心とした照葉樹林帯がコナラやアベマキ,
クヌギなどの落葉広葉樹林へと変貌をとげるのは強い人為的撹乱の証拠だと
森林学にはきちんと記載されている.

住宅地への道路.jpg
住宅地に連なる道路.放置された路面にクズが這い,竹がおおいかぶさっている.

 ●里山の典型的風景として登場する落葉広葉樹林であるが,実はそれは常緑
広葉樹林の伐採によって生じた人間と自然との合作であるのだ.ここから
重大な疑問が浮かび上がってくる.里山を人間の干渉が及ばないところの
あるがままの自然と受け取り,里山を手付かずのまま”守れ”と声高に主張する
ことは動的な里山を維持することになるのであろうかという疑問である.

県有地敷地内.jpg
試験所敷地内のアカマツは松枯れ病で次々と倒れて行くが,倒木のまま放置されている.

● 実際の歴史を調べてみると,さらに驚くべき事実と里山がつながって行く.
稲作はもちろんであるが,総ての作物の生育に不可欠で,しかも人間の能力で
管理可能なのが水と肥料である.現代農業ではこの制御可能な領域を拡大し,
温度や日照量にまで広げてきた.しかし,里山が関与してきたのは高度の
科学技術を取り入れた現代農業ではなく近代までの農業である.里山の
雑木林とそれに連なる森林は水源の涵養林としての役割を担って来た.
またそこから得られる落葉や雑草,下草等は適当に加工され,あるいは
焼却灰という形で田畑の肥料として農作物の生育を促して来た.一方
熱源や薪炭財を提供できる里山は木材伐採という上記保全とは逆流する
争いの場でもあったという.かって例外なく存在したといわれる里山資産利用
に関する厳重な「掟」の存在は,見方を変えれば里山が持つ利用価値の別の
表現でもあるのだ.

感染松処理.jpg
カミキリ駆除処理を受ける松枯れ被罹松.営林署の懸命な努力が続いている.

● しかし化石燃料への転換と現代農業という技術革新は里山の価値を一変
させた.今や里山の多くは利用価値を失い,処分することも再生することも
出来ない巨大なお荷物として多くが放置されているかに見える.小川未明の
童話;「赤いろうそくと人魚」は人魚から得た沢山の恩恵に対して,これを
売りとばす暴挙で報いた忘恩の物語である.人間の経済活動が報恩の原理で
動いているのでは無いことは確かであるが,それなら別の経済原理で里山を
再生できないのだろうか.里山へのノスタルジアをかきたてたところで荒廃が
止み再生が始まることは無いだろう.それは里山の歴史を見れば明らかである.
人間の経済原理の中心に有るのは常に資源占有・獲得の飽くなき追求と,
非情な科学的合理性である.それなら里山に居を置いた動植物達はどうなのか.
同じく非情な合理性で動いているではないかという異論が出されるかもしれない.
これにはその通りだと思うと同時に,それから少し外れた感情的なものが
頭をもたげて来る.人間のような無制限の幸福願望は生き物達には無い.
盛夏の庭に死を迎えたアブラゼミやオオムラサキが無造作にころがっている.
他に選択の余地がないささやかな生存の宴のなかで,かれらの一生が今
見事に終わったのだ.歩行する足を持たない木々のざわめきはさらに哀しい.
この動植物の宴によりそうのは合理でもなければ,科学でもない.そして
僕の場合のアートは合理や科学から響いてくる欲望の声でもなければ,
幸福願望の悲鳴でもない.動植物の有限の生という共通項を担いながら,
死という永遠性を解読する海図無き問いと関係がある何かだ.

コナラ落葉.jpg
コナラの落葉.11月,工房の庭は落葉で敷き詰められる.
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森の近景②;プロローグとしての森の闇 [森]

 人類が採集・狩猟を生活の周縁において,定住と育成・栽培を専らとする
農業中心の生活に切り替えたのは今からどのくらい前のことだろうか.正確な
ことは分からないにしても,場所を限定しなければ8千年前とか一万年前とか
いう推察が多い.日本列島に限定すると米作農耕は弥生時代に始まるとの
主張が崩れてはいないから,定着農耕文化の開始は地球上の他の地域と
比較すると大幅に新しいものとなるのであろう.

ラズベリー.jpeg
工房の庭に植えたブルーベリーの実;今年は熟す寸前に小鳥が啄んでしまった.

 これに地球史的に見た森林の歴史を重ねてみると人類のさがのようなものが
浮かび上がって来る.未だ人間が自然の一角で謙虚な位置を占めて居た時,
王者である森と海は人類がなす原始的農業の営みを鷹揚に見逃して来たに
違いない.なぜなら最初の植物が5億年前に生じて以来,植物進化の流れは
止まることなく続き,ついに7000万年前には花を咲かせ種をつける20万種
(100万種との説もある)の被子植物の大群で地上の多くをを覆ったからだ.

フデリンドウ.jpeg
春になると周りではフデリンドウが花盛りとなる

 当時耕作地を拡大しようとする人類の前に立ちはだかったものは何で有った
のか,それは平均気温や雨量の違いにより一律ではなかったにしても,
少なくとも耕作可能地域に入るところでは眼前に波打つ広大な緑の壁が
圧倒的力を見せつけていたのではなかろうか.ここには”自然保護”の
弱々しい緑のイメージは片鱗もない.森は生き物を育み,その生き物によって
人間の生存を支えてくれる豊穣の場ではあったろう.しかし,森の気まぐれとも
見える食料資源としての木の実の豊作,不作の波は常にそれに依存して生きる
人々への無言の圧迫となったはずだ.
 当時の貧弱な草木管理の道具は,少々の油断でも恐るべき成長力で
おしよせる緑への恐怖を軽減することが出来なかったこともある.畏敬と
恐れとという視点から考えると恒常的闇の環境ということも有るだろう.
日没と共に照明の無い住居を漆黒の闇が包み,仰げばおよそ限界が
無いかに見える天空が底なしの湖底を覗き込むようなこ惑を投げかけた
に違いない.
 真の闇が何かについては一つの思い出が有る.小学生か中学生かは忘れたが,
未だ高度成長期に入る遥か前のことだったと思う.或る日バスに揺られて牧丘の
叔父のところに連れ立って行くことになった.夕暮れに甲府を出発したが,
バス停に降り立った時はすでに日はとっぷりと暮れていて,辺りは街燈だけが
冬の道路を寒々と照らしていた.そこから2,3kmのうねうね曲がった山道を
登ればすむことは知っていたが,途中叔父が近道をしようと言って先に
すたすたと歩き出した.道路から外れてあぜ道らしきところに出た時には
完全に夜の中に融けた叔父の姿を見失った.新月だろうか,
月明かりもなく空には星だけが鋭い光点を闇に穿て震えている.
足元が宙に浮いたようで一足ごとに自信が失せ,ついには歩みが
止まってしまった.「おい,ひさとこっちだ」思わぬ近くから叔父の声が
聴こえて来た.闇の中でさらに黒い闇を背負った叔父の姿が,
かろうじて見えた.縄文人の闇とはこれよりもさらに深い闇だったはずだ.

風とコナラ.jpeg
7月,風にゆれるコナラ

 彼等が聴いた音も,我々が中毒状態に陥っている時系列予想が
全く意外性の無い当たりの良い音楽などとは完全に異なっていたのだろう.
木立を切り裂く木枯らしの音に無常を感じるなどは遥か後のことで,
もろもろの象徴の圧というよりは現実の恐怖と連動してその恐怖の可能性を
想像により何十倍にも拡大する類のものであったと思う.21世紀のこの今でも,
例えば地響きを上げながら山を揺るがして押し寄せる山鳴りを聴きながら,
森林の只中で無防備のまま夜安眠することなど僕には論外の暴挙である.

ギャラリー・夕.jpeg
西日を受けるギャラリー入口

 森への畏敬はともあれこの地では定着を専らとし,稲作農耕で生きる文化に
軸足はいつごろか移された.それが縄文人を迫害・征服することによって
達成されたのか,それとも,豊穣な森からの恩恵を受けながらも,縄文人自らが
森のきまぐれを契機として,森からある距離を保とうとする衝動を現実のものと
したのか,さらには新たな稲作文化を武器とする侵入者と,森の民との複雑な
戦いによって方向付けられたのかは僕には分からないし,ここで論じようとする
課題でもない.問題は農耕のための耕作地が最初にいかにして確保され,
いかにして拡大していったのかということである.
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森の近景 ①旅人の夜の歌から [森]

庭階段11月.jpeg
11月,工房はコナラの落葉で覆われる;雑木で一括されるコナラは里山の主役の一つである

 30歳を少し越えた青年ゲーテは ,1780年9月6日,イルメナウ近郊
キッケルハーン山に登り,その山小屋に一つの詩を鉛筆で書きとめた.
後に世界中で愛されるようになる「旅人の夜の歌」である.
ドイツ小学生でも多くが暗唱していると言われるこの詩であるが,
平易な表現であるにもかかわらず内容は御しやすいものではない.

Wanderers Nachtlied

Uber allen Gipfeln
Ist Ruh,
In allen Wipfeln
Spurest du
Kaum einen Hauch;
Die Vogelein schweigen im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.

峰峰は
静まりかえる
木々の枝先もまた動く気配すらなく
小鳥達のさえずりは森に消えた
待つのだ しばし
おまえもまた安らぐだろう

タイトルからして「旅人の夜の歌」である.ヨーロッパ近代さきがけ
のキーワードの一つとも言えるゲーテだが,まるでそれを自己否定
するかのように,光の世紀である啓蒙思想も一挙に飛び越えて
中世に回帰したような気配すらある.実際には地質研究者としてゲーテが
暮れたばかりのキッケルハーン山の静寂に囲まれて,自らを旅人
と重ねて人生の終局を予言する,それが生きる現世の象徴とも
聴こえる小鳥たちの歌の終焉となって深いため息に収束しただけ
なのかもしれない.それにしても大学時代この詩に最初に遭遇した時の
驚きとは何だったのだろうか.得たいの知れない怪物のように黒々と静寂に
身を伏せる山稜,そして森!だからてっきりこの森は針葉樹の木立だと
思い込んでいた.それから何十年も月日が過ぎて毛羽立った間違い
だらけの知識もそぎ落とし,今この詩を前に考え込んでいる.
 暗闇に理性の 光を当てる,つまり啓蒙;The Enlightenmentは
全体的に観れば確かに西欧中世への決別で有ったかもしれない.
しかし中世は一挙に捨て去るべき暗黒の時代などではなかったことは
その後の歴史がしだいに明らかして行った.鋭敏なゲーテの感覚は
すでに30歳にして”それ”を視野に捉えていたのか.いや”それ”に
捕捉されていたのかのかもしれない.さて,この場合の”それ”とは何だろう.
鬱蒼とした森ではないのか.

ギャラリー全景11月jpg.jpeg
工房の庭木は自生していたコナラを生かしてデザインした

 この詩の中の何重にも重ねられた象徴の中心には森が有る.
その森がどのようなもので有ったのか,不勉強な僕は最近ようやく
その実相に関する有力なドキュメントを知ることができた.
故堀米庸三氏編「中世の森の中で」(河出書房新社,1975)を
再度読み直したからだ.特に僕が自分の思い込みを恥じたのは,
中世ヨーロッパの森林構成の中心が楢であるとの冒頭の指摘であった.
 正確に言うとヨーロッパナラ(欧州楢 ;学名Quercus robur )で,こ
れは落葉広葉樹である.これが属するコナラ属(学名:Quercus)には
常緑樹である樫が含まれるが,樫は南ヨーロッパを除いて他所には
ほとんど分布していない.これと対称的にナラの分布は北欧を除いた
ほぼヨーロッパ全域を覆い尽くしている.英語では前述した
コナラ属に対応する総称としてOakの語を用いているが,これには
とまどう方は多いのではないだろうか.Oakの日本語訳として樫の語を
翻訳界があててしまい,これが広く流布してしまったからだ.
 樫は日本ではコナラ属の常緑樹を指していて,落葉樹の楢は含まない.
このねじれはどこかで修正しないと混乱が拡大してしまうが,いずれにしても
落葉樹であるナラの森が中世ヨーロッパの風景の主役であったのだろう.
 このナラの旺盛な繁殖力は当時の技術力の限界もあり,前述した堀米編の
本によれば自然との調和を核とする自然観でな無く,押し寄せる森の大海
と戦うという現実を踏まえた極めて戦闘的な自然観を育む土台となった
のではないかという.

コナラ1.jpeg
コナラは手入れをしなくとも優に20mを超える樹長となる

 中世文化とゲーテの関連は一大テーマで,これを論じるためには
さらにゴシックのような巨大な思潮に言及せざるを得ないであろう.
しかし,ここではそのことに深入りするのが目的ではない.
森や林,それと日本の自然の中では独自の意義を有して来た”里山”が
人間にどのような影響を与えるのか,アートという窓から見たらどうなるのか,
そのことを次回から少し触れてみたい.
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