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●さようなら&こんにちは;2016年度工房カレンダーと年度始まりの雑感 [別れ]

■観照的環境の崩壊
現代の偉大なる政治思想家;ハンナ・アレント(Hannah Arendt 1906-1975)
はその代表著書の一つ「人間の条件」で近代における観照(静かにながめ
考えること)の凋落について次のように述べている.
 “おそらく,近代の諸発見が引き起こした精神的結果のうちで最も重要な
ものは〈観照的生活〉と〈活動的生活〉のヒエラルキーの順位が転倒した
ことであろう“と(人間の条件,ハンナ・アレント著,志水速雄訳,筑摩
学芸文庫,p.456).もちろん近代以前においてはあらゆる活動の終局点
ないしは停止点,つまり極点に驚きをともなった真理の観照を置いたので
あるから,順位転倒は観照の凋落を意味するものであった.現代に生きる
我々の時代を見れば,もはや普通の生活にとって観照は真理到達の不可欠の
過程でもなければ,それなしには不安で生きられないといった“生活必需品”
というわけでもない.自問自答を繰り返し,内的対話という思考過程の末
言語の停止する驚くべき観照状態に達するなどという“迷妄”を一体だれが
信じるというのだろうか.それどころか,内的対話という思考過程すら
知を生業とする人々には無用な過去の遺物とみなされているのではないかと
思う時がある.なぜなら,例えば森や木立の中で,喧騒から離れて立ち止まり,
あるいは逍遙するといったいわば“観照的空間”というものに全くと言って
いいほど時代の考慮が無いからだ.

LabR2012.jpeg
2012年晩秋,工房アクセス道路.甲斐メガソーラー発電基地建設の ための伐採直前で道沿いにはコナラやアカマツが並ぶ

■「最大多数の最大幸福」に征服されて行く里山
甲斐市メガソーラー発電基地の計画が有ることについてはすでに2011年
11月のこのブログで触れたが,それから2カ月もしないに内に伐採と整地の
動きが開始された.甲斐市北西部を東西に走る新道整備が急展開すると共に
旧蚕業試験所敷地内のアカマツ,コナラ,エノキ,ポプラ,サクラ,
プラタナス,ヒマラヤスギ等の木々は完全に一掃された.残された土地は
赤土がむき出しの更地となり,空爆を受けた戦場のような跡地には鏡のように
光るパネルが隙間無く並べられた.それが一段落した後,驚くべきことに
この広大な敷地を大幅に上回るようなメガソーラー大計画がどこからともなく
聞えて来た.その計画を先取りするように木立の伐採は堰を切ったように
進められ工房の周囲はあっという間に丸裸となった.今やさえぎるものも
なくなった荒地を走る八ヶ岳下ろしの烈風は大地を揺るがし工房の屋根を
一枚一枚と剥ぎ取って行く.“暴挙”というものは普遍的なものではなく
全く相対的なものだとつくづく嫌に成った.一軒の山奥の変人の工房など
多数の利益の前にどれほどの価値が有るのか!里山のキツネや野ウサギ,
タヌキ,イノシシ,キジ等の野鳥ども,それにちっぽけなシュンランや
スミレなど同様だろう.オオムラサキやカブトムシが生活のために何か
してくれたのか.保護を云々するのなら,マムシやヤマカガシ,ムカデや
ヒキガエルを家に入れて仲良く暮らしたらいい,といった功利の“正論”
はいたるところに溢れているのだ.

cutdown.jpeg
20 13年1月から旧蚕業試験場跡地の徹底した伐採が開始された. パネルへの日照に影響が少ないと思われる木々でも大小を問わず容赦なく 切り倒された.

panelbase.jpeg
蚕業試験場跡地に建設途中のパネル設置台.見る人によっては 死んでいった動植物の墓名碑のように見えるかもしれない.

■そこは冬,静かに雪が降っていた
2016年度のカレンダーは2008年1月22日の工房本部ログハウス
周辺の風景である.アカマツやコナラに囲まれたその時の工房はひらひらと
舞い落ちる雪の中で静まりかえっていた.やがて来るであろう狂乱の開発
騒ぎなど知らないかのような静寂の風景,それは後になると狂おしいほどの
ノスタルジアとなって僕を苦しめる.ノスタルジアとは一種の精神の病理
ではないかと思う.

    とうとう見つかったよ.
    何がさ?永遠というもの.
    没陽といっしょに,
    去ってしまった海のことだ     ランボー全集,永遠,p.111
金子光晴訳,雪華社,1988

2016カレンダーWeb.jpeg
2016年度のカレンダー.周辺が伐採される前の工房本部と研究棟 の周りには鳥たちの囀りが木々に木霊していた.
同じ川の流れには入れないと言ったギリシャ人は今の瞬間の水の感触
だけを信じたのであろう.近代人は客観を総て自己のなかにとりこみ,
疑うことのできない自我だけに安息を求めている.まるで存在の虚無
がそれですべて解決したかのように.ところで僕は僕自身の拠って立つ
位置をどこに置いているのだろうか?

DSCF0251.jpeg
メガソーラー計画の拡大とともに伐採は工房周囲全体にせまって来た. 遮る木立を失った山には烈風が吹き抜け動物達の姿も見られなくなった.

■2015年の身辺雑事とか
7月には母が他界した.享年100歳の終わりの2年はグループ・ホーム
と医療型施設でのケアでは有ったが,ほとんど毎日女房か僕のいずれかが
訪問していたので状況をしかたがないことと受け止めていたように
思う.進行する認知症の薄明の中で“死ぬわけにもいかない”不条理
をしきりに嘆いていたが,最後はこの世の苦しみを総て吐き出すように
呼吸して旅立って逝った.父亡き後の30年,最初は小さなタバコ屋を
維持させての自立した生活が90歳を過ぎてからは思うに任せなくなり,
自宅での老老介護という本人としても不本意な選択となってしまった.
その中で,いつも母が舞い戻っていったのが故郷,牧丘の青春時代の
思い出だったというのが母の実像を解読するきっかけとなった.
ここに一枚の古ぼけたセピア色の写真がある.山梨高等女学校の
卒業記念写真だと母から聞いていたが,そこでの生き生きした
母の表情は戦後間もない時に毎日目にした生活に疲れ,戦う母の
表情とは重ならないことに驚かされる.

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向かって左端が十代後半の母,それからすぐに結婚することになるが 当時琴ばかり弾いていた母からは生活臭といったものが全く感じられないのが面白い

 葬儀を近親者だけですませ,残務処理のごたごたで疲れていた
10月にはボルゾイのリラが急死してしまった.食欲がなくなって
から僅か3日目に僕等の視界から消えてしまったのだ.前日の夜
工房の庭を何周も散歩しているうちに何か言い知れない不安にとり
憑かれたが,翌朝には硬く冷え切って工房の床に伏せていた.
せめてもの慰めは前夜工房の庭から眼下の夜景を見ながら,身を
寄せるようにして「ありがとう,リラ.ありがとうね.
いっぱいありがとう!」と別れを告げることができたことだろうか.
母やリラについてはまた時をあらため別に書いてみたいと思う.

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元気いっぱいの時のリラ.長い足を生かし,まるで馬が走るように 優雅に走る姿に驚かされた.

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そのリラも冥界に消えた.この世との境にはどのような花が咲き誇って いるのだろうか.
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