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喪の風景 [作曲]


本部机.jpeg
祈願灯.jpeg

あのひとは,あの子は帰らない.
私は何日も何夜も食事の準備をして待つ.
蝋燭を灯し,食器を洗い,そのひとの衣服を整えて.
私は耐える.不在の儀式は死を受け入れないことだから.
くりかえしくりかえし同じことをして・・・.
私は忠実になろうとしているのだ.
どこかえいってしまったあのひとのために.

ふと私は奇妙な居心地悪さを感じる.
いったいなぜ私はこんなところに留まっているのか.
私は会話をし,歩き,食事をし,あのひとを忘れようとしている.
私は不完全なのだ.半身をもがれて苦しみに耐えようとしている.
私はたまりかねて外出し,意味も無くさ迷う.

ひとびとはなぜ笑うことが出来るのだろう.
こんなにも苦しんでいる私が見えないのだろうか.
私は疲れてしゃがみこむ.大都会で,けわしい山道で,戦場で,
鬼火が青く燃えるそこかしこで.

ああ,私を待っていてくれるものは居ないのか.
夜ごと蝋燭の灯の下私を抱きしめてくれるものは.
私のひび割れた手足はぼろぼろで
地の底から野獣のようにうめき声を上げる.
髪の毛からは冥界の匂いが漂い
その時,私はあのひとの吐息を確かに感じた.
そうだ,私を助けてくれるのはあのひとしかいないのだ!

見上げると木立を風が吹き抜け
空を一片の白い雲が漂っていく.
あのひとは死んだのか!
私の前から永遠に消えたのか!
私はあのひとにさようならを言った.
また会う日まで待っててねと.
タグ:作曲 不在
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誕生前夜 [作曲]


ミズナラ2008-325.jpg
コオヤボオキ2008-325.jpg
シュンラン2008a.jpg

工房の周囲の森の中もようやく春となりました.
 ヤマザクラはまだ蕾も固いのですが,
  コナラの芽は日ごとに成長してきています.
 冬に薄紅色の花を咲かせたコウヤボウキの若芽も芽吹いて
 何よりもシュンランの花が春の渡来を告げているようです.

 でも,今回の曲はもう少しねじれていて
以下の詩;”誕生前夜”の方が内容的に近いのかもしれません.


炎,
焼き尽くすもの
生きるための死を生み出せない貪欲な消費者
死,
破壊と誤解される凍てつく大地
幼い自分を食い尽くすおまえの苦痛と歓喜を知るものは少ない
食事と言う快楽さへ捨てたというのに

おお,何という織物か
見捨てられた醜悪な手触り
やがて生まれるものたちのために
おまえの裸の神経を包むのは蛇の皮だけだ
生まれてくるのは昨日ではない何か
そう,今のおまえさえもが理解できない未知なる自分自身

それまでは無視するがいい
動かないから死んだと思うような愚かな常識は


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2008年元旦;かすかな不安と快晴と [作曲]

 2008年元旦,早朝の町にはさすがに人気が無い.快晴の空にはハトの群れが旋回し,背後から町をオレンジ色に染める陽光は洋々たる行く手を象徴するかのように明るい.この光景は陽だまりで独楽に興じた少年時代のものだ.しもやけで膨れ上がった手の上に鉄製の独楽を掬い取り,木綿の紐の上を往復させた僕等の背後からはそれと同等のローテクの台所の煙が立ち昇ってくる.木のくすぶる匂いが消えて,僕等の目の前には総て制御された炊飯器があたりまえのように電源が入るのを待ち構えている.だがこの極上の贅沢にはかすかな不信というのか,不満の声が浴びせられるのはなぜだろうか.誰もが感ずる漠とした不安の根があれこれの浮かれた遊興に酔えない覚めた視線を生み出しているのだろうか.

 寒風の冬は持てざるものに厳しい試練の時を与え続けてきた.しかし,冬は同時に炉辺の安息をも約束したはずだ.湯が沸騰する音を聞きながら,子供達は物語に熱中し,見たことも無い空想の織物を仕上げてきた.ふと振り返ると,この織物は視界から消えて,今や「夢」と言う野望が子供達を勝者であるべく駆り立ているかのような気配すら感じる.

 


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無機質に彩られることへの怖れとあこがれと [作曲]

   

 人類が完全にこの地上からいなくなったらどうなるのか,この問いかけの背景には深刻な地球環境の変動があるにちがいない.人類生存の永続性に関する疑問はかっては核戦争の勃発で有った.この問いかけそのものは,原因を不問にすれば今を間接的に理解する一種の思考実験となりうる.事実,来春早川書房より「私たちのいない世界」(The world without us, by Alan Weisman)が刊行される予定だという.刊行まで待てない方はインタビュー記事が”日経サイエンス,2007年11月号に掲載されているので,それが参考になるだろう.維持管理の努力は目立たない仕事なので普段はその重要性をそれほど意識していないが,ニューヨークの摩天楼ビルはわずか数十年で倒壊することは何が重要かを考えるヒントを含んでいるに違いない.人が手を入れることの無くなった道路には亀裂が入り,2~4年後には雑草で覆われやがては壊滅する.
 これほど大規模な思考実験でなくとも我々の周囲には崩壊の芽がいたるところにころがっている.人の環境への介入のマイナス面ばかりが強調されているが,根こそぎ住人が住処を後にした村崩壊の速さは想像以上のものがある.廃墟には繁殖力が旺盛で強靭なウルシやススキ,ヨモギ,クズが繁茂し,ぶ厚い緑の壁は決して野生動物の天国にはなっていない.僕の工房の近くにも耕作を放棄した放置田畑が無数に有るが,年一度の草刈や除草もしないところは身の丈を越えるようなススキの壁が感傷的緑信仰を哄笑しているようである.
 しかし,さらにつっこんでアナーキーな生命の饗宴が終わったところで生命の終焉のイメージはどうなるのだろうか.少なからぬ植物や動物がその一生を終え,落日の冬景色の中で生命の衰えや総てと言わないまでも生命の消滅を目にすることに,かすかな恐怖の匂い嗅ぎ取らない者がいるのだろうか.生命もまた無機質に還元されることへの不断の抵抗によってしか維持されないことが事実として有るとすれば,この怖れを理解することは難しいことではない,困難は母なる物質の世界にすら,それこそ微々たる兆候のような茫漠たるものかもしれないにしても強烈な魅力を我々が感じていることである.無機質への関心はどこか巨大な物質世界の闇の中に広がっていて,我々の精神世界の手ごわさを象徴しているかのようである.

 写真はニューメキシコの砂漠で何年か前撮ったものである.今回の曲はそんなことを考えながら作ったがなぜか,結構テンポの速い激しい曲になってしまった.不思議!

 

 

 

 

 


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夏の終わりに [作曲]



夏を人生の華と捉える視点は珍しくない.若さや活力への礼賛でもある.
虫たちがせわしく飛び交い,林はセミ達の鳴き声で終日明け暮れる.
日は高く天空にあり,影の無い風景の中に生きることの陰影など蹴散らされそうだ.
英語ではsummerを歳の意味で使う場合があるが,これは人生の盛りにある
人達に限られている.苦渋を重ねた老年に対しては対極である冬;
winterが用意されていて逃げようがない.しかし,これはいかにも月並みな
見方とは言えないだろうか.
 生と死は画然と区別された瞬間に突然来るわけでは無い.燃えることに
よって,つまり絶えざる死の積み重ねによってしか生を維持することはできない
ことを詩人アルセーニー・タルコフスキーは蝋燭と重ねている.

   黄色い舌をゆらめかせ
蝋燭がゆっくりととけて流れてゆく.
そうやって僕たち二人も生きているね,
魂は燃え,肉体は融けてゆく.
「雪が降るまえに」 アルセーニー・タルコフスキー著,坂庭敦史訳,鳥影社,p8

燃え尽きる瞬間は夏の只中にも顔をのぞかせる時がある.盛夏の庭に
無造作に転がっている干からびたセミの死骸,その遠景にはかげろうが
揺れ近景には死体にむらがるアリ達がいる.影の少ない風景はむしろ
僕等の感覚への幻惑の証だ.そして,誰の目にも明らかな早まる日没,
力を日ごとに弱めていく日輪の季節,秋こそ考える季節の到来と言えない
だろうか.

 曲はいささか変化の少ない曲,タイトルは”an epilogue of the summer"


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めぐり続けることって [作曲]

 

「恋する者は,フィギュールの貯蔵庫を開き,おのが想像界の命令を,
あるいはその快楽を,必要に応じて取り出してくるのである.
ひとつひとつのフィギュールは,全体としてのメロディーから切り離された
単独の音のようにして,ひとり炸裂し,振動する.あるいは,
たゆとう楽曲の構成モチーフののように,あきあきするほど
同じものがくりかえされたりもする」
 ロラン・バルト,”恋愛のディスクール・断章”,みすず書房,三好郁朗訳,p11

 フランスの哲学者バルトの上述の言葉は,めぐり続けるものの秘密をあばくかのようで立止ませるものがある.止まることことなく回るが,決して進展することのないものとして”恋愛”を見る視点には異論があるかもしれない.興奮し,衝突し,静まるが,論理も統合も無いと断言されればなおさらであろう.統合的なものでなければ当然真の意味での超越性も,救済も,小説的構造もないことになる.もちろん恋愛は,生まれ,発展し,死ぬ,ひとつの道筋はあるとしているバルトではあるが,彼の視界には個々の挿話,断片間の相互,連関が認められなかったということに違いない. 

 おおかたのブーイングが聞こえるようであるが,僕にはこのバルトの断言が妙に生々しく響いてくるのはなぜだろうか.平凡な経歴しか持たない者がこのようなことを言ったところで失笑を買うだけであるが,メリーゴーランドのように回転するイメージを音にすれば少しは説得力があるかもしれない.

 タイトルは”hug me softly", 別に”killing me softly"を知らなかったわけではないけど,なんとなくそこに落ち着いてしまった.”・・たく,いいかげんにしてほしい!”・・・ですか.もっともですね.

 

 


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もう気分は秋 [作曲]

 

今日の甲府は最高気温が36.7度,鍋の底みたいな盆地は
無風の中にどろどろと熱気が渦巻き,まさに夏は真っ盛りの
風景です.明日も今日のような熱さが続くとか,秋の気配は
感じられません.カナブンもオオムラサキもミズナラの木に
しがみついて樹液をむさぼるのに余念がないし,ヒグラシは
確かにうるさいほど鳴いてはいますが,秋の冷気も無縁のこの
蒸し暑さでは場違いな感じですね.

 それなのに”もう気分は秋”って?別にねらったわけでは無い
のですが,ちょっと肩の力を抜いて曲を作ってみたらジャズ
ぽいR&Bになってしまったということです.音をびっちりと埋め
尽くさないのも何か魅力的だと思うのですがいかがでしょう.

タイトルは「leaves in the fall」です.

 いくらなんでも紅葉写真は無いので,少し古いですが
アメリカ東部プリンストン大学で留学中に撮った写真をUP
しました.人気の少ない構内に落ち葉が敷き詰められて,
金色の楓の紅葉が燃えあがるようでした.懐かしい思い出
がよみがえってきます.

 

 

 


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音楽のように振動する心 [作曲]

 

R&Bのリズムパターンに沿ったメインメロディーの流れに浸っていると,
妙に安定した気分になれる.それがバラードのようにゆったりしたテンポ
であっても,またダンス系のユーロやテクノ,メタルのように早いテンポの
ものであっても気分的な高揚感に違いはあっても,一貫性という点では
あまり変わりは無いように思う.むしろ安定性の中にとりこまれて,そこから
脱出することができないような恍惚感と言ったらいいのだろうか.


 ところが近代のクラシック音楽の場合,心の揺れ動くさまがむき出しで
安定性と程遠い曲が多数ある.音楽的なことは専門家に任せるとして,
例えば僕の大好きなサンサーンスのピアノ協奏曲第二番(ト短調)の第一
楽章の出だしなどは揺れ動く心の振動そのままで,自分の心の波長と
合うような時聴くと恐るべき力で共鳴し合い引きずりこまれてしまう.
 深い夜のしじまに,分厚い積雲が流れるようなアンダンテ,ただならぬ
緊張の気配が高まり,突如一陣の風とともに暗雲を払うかのような月光,
一挙に開放されたもろもろの想念が雪崩のように崩れ,飛翔するかのようだ.
この部分に小節の区切りなど有るのだろうか?

 今回の曲ではリズムは無いに等しい単純な繰り返しにすることにした.
心の振動のようなメロディーの波動に焦点を合わせたつもりだが,結果は
成功したかどうか定かではない.タイトルは"a song from the cosmos",
ちょっと大げさだったかな!

 写真の一つは口径20cmの工房の反射望遠鏡,雨が観測室に入って
追尾装置が壊れてしまった.ピアノも望遠鏡同様安いものである.

 


 

 


 

 

 


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帰る処は見えないけれど [作曲]

 

ノスタルジックR&Bを聴いていたら,以前メモしておいた詩
がふと頭に浮かびました.どんな状況で書いたのかあまり
記憶は定かではないのですが,これを読みながら作ったのが
今回のノスタルジックR&B2です.

 詩のタイトルはとりあえず”帰る処は見えないけれど”にしました.
貼り付けたイメージは,舞踏家Min Tanaka氏の「ウミヒコヤマヒコ
マイヒコ」からの1ショットのコラージュです.

詩は未だ完成したものではありませんが,音楽を聴きながら
踊ったり,声を出したりして戴ければ幸いです.

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

飲んだくれてふらふらと夜の森に出る.
 盆地の夜景が目の前に広がり,
生と死の境が融けて見える.

ほら,分かるだろう.
物達が恐ろしく雄弁で,
何万光年も向こうの世界と
足元の世界とが,
真一文字に繋がってしまうのが.

ああ,もう止めよう,求めるのは.
あくせくと働くのは.

君よ,大きな鳥が舞い上がるのを見たか.
祭りの後の風車,水に落ちた僕の思い出.
ろうそくが燃え尽きた時,
夜風の中に聞こえるのは微かな囁きだ.
遠い昔に置いてきた一冊の本を
忘れたのは僕かもしれない.

くるくる回る.
哀しみも喜びも捨てて.
きしむ僕の手足,
夜風に髪がゆれる,
ゆれる,ゆれる.


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子供達はどこえ行ったの [作曲]






   夕暮れまで遊園地で遊ぶ子供を見かけることはすっかり無くなりました.
子供達をとりまく環境がそれを許さないだろうし,なによりも安全に対する
信頼が消えたというのが大きいのかもしれません.

 写真を整理していたらこの光景が思い出されました.無性に懐かしく
なり一気に曲をしあげたのですが,大声をあげて泣きたくなったのは
なぜでしょうか.ノスタルジアというのは一種の病気かもしれません.

 原曲は5Mの制限を遥かに越えてUP出来なかったため,今回は
フェードをかけ短くしました.録音もMP3にレンダリングした時
かなり劣化したようです.それでも何か訴えるものは出てきたように
思うのですがどうでしょうか? 


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