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●ティツィアーノ;「ニンフと牧人」をめぐって [絵画制作と絵画論]

■ウィーン美術史美術館に所蔵されている「ニンフと牧人」はイタリア盛期ルネサンスを代表する一人;ティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の作品である.百歳近くまで生きた画家が亡くなる数ヶ月前に制作したと言われているが,死後アトリエに残されたままになっていたこの作品は注文によるものではなかったのであろう.生前,ヴェネツィアはもとよりヨーロッパ各地にまでティツィアーノの名声は及んでいたが,その名声を支えていたのは聖職者や貴族,それに有力な君主を顧客とした例えばフラーリ聖堂の「聖母被昇天」のような作品群である.「ニンフと牧人」はそのような作品では無い.ここでは最後の絵画的メッセージという形でティツィアーノは自分自身の思想を語っているように見える.
 暮色か,日没後の夜か定かではない暗い森の遠景には一本の枯木が枝を落としてそびえ立ち,そこにはおそらく鹿と思われる一匹の動物が足をかけて起立している.近景には一人の若い牧人,2本の手には奏ずるのでもなく笛が握られ,凝視を受けるニンフは見事な裸身のまま背を向けて動こうとしない.

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ニンフと牧人;1876?,ウィーン,美術史美術館,150X180cm

■僕がこの絵の複製画を最初に目にしたのは平凡社が1959年に発行した世界名画全集第5巻;“イタリア・ルネサンスの展開”の中の一ページである.平凡社は全36巻の「世界美術全集 」を1927~1930にかけて刊行しているが,これは1960年代に始まる美術全集ブームのさきがけとなった第2次「世界美術全集 」の方で,大学一年時に仙台の本屋の店頭で見かけて購入した.しかし,同じ頃に発行された講談社,「世界美術体系」や後の小学館「原色世界の美術」等の豪華本にくらべて印刷の質は低く,版もB5と貧弱で,視覚的な強烈さから言えば「ニンフと牧人」が50年以上もその印象を継続したことが奇妙にも思える.事実,イタリア・ルネサンス期の画家で圧倒的に魅せられたのはダビンチとミケランジェロでティツィアーノはどちらかというと素通りするような画家のタイプに属していたことを告白しなければならない.しかし歳とともにこの作品と直に対面したいというこれまた奇妙な欲求が頭をもたげて来て,昨年友人がウィーンに留学した機会にこの作品の美術館所蔵を確認してもらった.「ニンフと牧人」は確かにウィーン美術史美術館の一角で静かに生きていた!

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画面向かって右上の枯木と鹿らしき動物

■なぜ自分はこの作品に魅せられるのかという謎を解明すべく僕自身が大学教養部時代に試みたのは,作品が包含するものを感じるまま別の作品に転位して表現することであった.サイズとしてF120号(194x130cm)のキャンバスを張り,油絵具で一気に描き上げたのは2年生の夏だったと思う.登場人物は男性二人,女性一人の合計三人で全員着衣,場面は草原,奇妙なことに夜の背景には巨大なアンドロメダ大星雲が半ば昇ってくるという現実とは一瞥すると無関係な情景であった.
この自作の油絵は同時期の他の作品と同様失敗作ということで焼却処分してしまい,その写真記録も残っていないので記憶をたどるしかないが,色彩もデッサンもはっきりと覚えている.全体として深緑の闇に
沈む緩やかな丘の斜面で二人の若い男女が何やら草原の上で緩やかに語っている.それは主張しているようでも有るし,またそうでない様にも見える.議論というよりは語ることの中に沈積している二人,だが3人目の若い男は二人とは無関係のまま天空に上るペール・イエローの大星雲を見上げて凍り付いている.青年の髪の毛が揺れる.風に乗る哲学的な会話.自転する大地.季節は秋も終わりだろうか.

 
■「ニンフと牧人」の中の性的なメッセージを僕自身は本質的なものとみなしていなかったことは確かである.むしろこのニンフと牧人との間の関連を,ある種の普遍的な関連,世界における人間のありようとして受け止めていたように思う.しかしそれではなぜ夜なのか?朝に始まる覚醒と活動こそ人間らしさそのものではないのか.
朝日を浴びながら忙しく新聞に目を通し,眠気覚ましに熱いコーヒーをすする.通勤の電車やバスから一斉に吐き出される人々,何かに押されるように足早に歩く無数の足音,いたる所で響き渡る騒音,昼こそ人間の欲望が紡ぎだす世界そのものだ.夢と言ってもよい.しかし,そこにこそ人間の原罪,思考の停止の源流が有るという考えも成り立つのだ.夜を選択することにより僕はむしろこの異論の方に傾斜していたように思う.

■それから半世紀以上が過ぎた.忘れていた記憶が再び生命を得て封印から飛び出したのは,全く予想もしていなかった課題の探査と交差したからである.その課題とは「ヒトと動物」というアポリアに満ちた領域と関係がある.しかし,この課題そのものを論ずることは今回のブログでは無謀過ぎる.この小論ではただ「ニンフと牧人」というティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の作品が,アガンベンという現代を代表する思想家の一人にとって如何なる意味を持ちえたのかについてのみ触れて見たいと思う.
 ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)は1942年生まれのイタリアの思想家である.哲学や言語について圧倒的な文献の引用から学究の徒を予想するものはおそらく裏切られるだろう.彼は社会的関心が強い問題,特に政治思想に果敢に挑戦している代表的哲学者の一人である.その彼が2002年「開かれ」というタイトルのモノグラフを世に出した.“「開かれ」―人間と動物;ジョルジョ・アガンベン著,岡田温司,多賀健太郎訳,平凡社,2011”

■本書は全体が比較的短い20章から構成されていて,各々の章は独立した内容というよりは山脈のように連なりつつ無数の入り組んだ登山道が最終20章に向けて結び合わされる構成となっている.「ニンフと牧人」はこの第19章“無為”の劈頭に登場し,19章全体で終始決定的な役割を果たしつつ第20章“存在の外で”に引き継がれて行く.とすれば19章もまた先行する章との関連でしか理解できないということに成るが,それでは全体を紹介することになってしまう.粗雑を承知で,この“無為”な絵画の意味の解読をアガンベンに沿ってたどることにしたらどうなるのだろう.そもそもこの一読して不可解な“無為”の語がなぜここに登場してこなくてはいけないのか.アガンベンは系統発生的な語の解説を一切していないが,訳者が註で詳細に解説しているようにそれはジャン・リュック・ナンシーによる1983年の著書;「無為の共同体」とそれに呼応して出されたモーリス・ブランショによる「明かしえぬ共同体」を踏まえたものであろう.ナンシーはその大著「無為の共同体」を次のように切り出す.“現代世界に関する証言のうち最も重要で最も苦痛にみちたもの,いかなる命令あるいは必然性によってなのかわからないが(というのも,われわれはまた歴史という思考の涸渇をも確認しているからだ),ともかくこの時代が果たすべきものとして負わされたさまざまな証言のうちで,おそらく他のいっさいを包括しているもの,それは共同体の崩壊,解体,あるいはその焚滅をめぐる証言である”と(「無為の共同体」,西谷修・安原伸一朗訳,2001,以文社).ブランショもまたこう繰り返す.“共産主義,共同体,といった用語は,歴史が,そして歴史の壮大な誤算が,破産と言うをはるかに超えたある厄災を背景にしてそれらを私たちに認識させる限りで,まさしく一定の意味を帯びた用語である”と(「明かしえぬ共同体」,西村修訳,1997,筑摩書房).彼らが一様に搾り出す言葉の背景は状況であり,歴史にあるのだ.ナンシーもブランショも,それでも必死でまさに滅びようようとしている共同体の汚濁の中から捨て去ることの出来ないものを掬い取ろうとする.その中心に位置する言葉の一つが“無為”ということになる.

■無為は無為徒食などと組み合わされて,何もしないでいることが文字通りの意味となる.彼等の主張をなぞってみると,この意味と関係がないまったく別の方向性を模索しているというよりは,むしろそれを日常次元まで徹底しようとしているようにも見える.つまり,日常活動での“営み”に吸収されてしまいそうな“行為”を“営み”から分節し,それをより根源的な視点から構築しなおすということである.例えばブランショは書くという行為が,生産的な営みととられがちな執筆行為とは等価でないこと,それどころか行為として書かれた“作品”は真実もなければ現実性もなく,労働の真面目さもない能動的行為の産物として,営みがめざす作品から逸脱し,自身を解体しつつ言語自体を作品から自由にすると主張する.ナンシーはさらに人間の死が人間の死であるかぎり共同体を前提とするとして,デカルト的個人の死の不可能性を共同体の根底にすえようとする.国家,民族,神話等に結局はとりこまれてしまうような昼の活動,労働や合目的な組織化としての営みから徹底的に逸脱し,行為の原型から人間の生と言葉を救済するというこの“無為”の戦略はアガンベンではどのように展開されるのだろうか.
 もう一度「ニンフと牧人」の二人に帰ってみよう.「消耗した官能性と物静かな寂寞感とが同居した雰囲気の漂う,この謎めいた道徳的=精神的風景を前にして,数々の研究者たちは当惑を隠しきれないし,どの説明も納得のいくようなものではない」とアガンベンは指摘しつつ,暗にそれらの説の中でゆらゆらと揺らめく恋人たちの神秘的高揚という前提そのものに疑いの目を向けようとする.「気持ちの冷めた恋人同士」(Panofsky)や「エデンの園を喪失してしまった」(Dundas)という表現は高揚の陰画として存在しうるのであろう.しかし,アガンベンはこの二人の覚醒,神秘からの覚醒,互いの神秘の不在から生まれる無活動;無為こそナンシーやブランショの無為の共同体につながるものと期待しているように見える.しかし書くという行為によって救済されるとされたのは言葉と人間の生であった.恋人たちの互いの神秘からの覚醒からは何がもたらされるのか.それは人間的でも動物的でもない新たな至福の生,ハイデガーが真理の特性として言及してきた隠蔽と露顕,むしろそれの彼岸にある至高の段階だとアガンベンは結論づけている.

■「ニンフと牧人」で僕が見たのは無為の会話の世界,つまり昼の営みとしての会話ではなく昼の活動が終わるときに始まる行為としての会話であった.この背景には人間の終焉という宇宙の劇場が回転していなくてはならない.救済されるのは歌だろうか,それとも言葉とか,しぐさとか,瞑想とか,身振りだろうか.確実に言えることは国家とか,民族とか,神話とか,幸福な生活とかではないことだ.その具体的イメージを復活すべきかどうか僕は今迷いの中にある.

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■意識的にでも無意識的にでもなく [絵画制作と絵画論]

●今回仕上げた一号程度の小品は抽象度が過激ではなく,
比較的なじみやすいものに仕上がったように思う.結婚祝いの
記念品としての作品だから,自分の勝手な好みを暴走させるのを
抑制したのかもしれない.とは言っても懸案の追求を放棄した
わけではないので,制作に集中しているといろいろ今後の方向性
についてヒントを得ることが出来た.

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「non-voluntarily non-involuntarily」, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料

●対象を特定しないということで一般には描画の発想を,無意識に
湧き上がる泉の中から熟成を待って汲み上げるイメージを持たれる
方が多いのかもしれないが,僕の場合は必ずしもそうではない.

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「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料

●無意識で絵具と板切れに向かい合っていることは確かであるが,
それとは別に何ヶ月もまるで強迫神経症のように響き渡っている
手に負えない難問が有って,これはもろもろのテキストやモノグラフ
の批判的検証,映像や体験の引用を含む意識の奔流の中で
もがき苦しみ浮沈している.
絵画を孤立した感覚の特殊な領域として割り切る考えかたもあるが,
絶え間なく流れ込んでくる情報の荒波と制作とは無縁ではなかろう.

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「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料

●しかし他方ではそのような時代感覚に左右されない絶対的とも
いえる世界を感じる瞬間が有って,それが季節の移ろいや
梢を渡る風の音,光や闇が織り成す目に見えない織物と
共振して胸が苦しく成る時がある.こういったことは皆森の中
の幻想にすぎないのかもしれないのだが・・

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「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料


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■抽象絵画の個体発生;①眠りの中の異界&真実 [絵画制作と絵画論]

●抽象絵画の創始者としてウィキペディア (Wikipedia)は慎重なもの言いながらも
カンディンスキーの名をあげ,その時期を1910年頃としている.
これはカンディンスキー本人のインタビュー記事とも整合するものであり
一つの美術史的見解かもしれない(ニーレンドルフのカンディンスキー
会見記;1937年3月,ニューヨークのニーレンドルフ画廊でカンディンスキー
の個展が開かれた.この個展に先立ちカンディンスキーが受けたインタビュー
記事がここにいう「ニーレンドルフのカンディンスキー会見記」である.
以下のサイトにはSE(DBエンジニア);ミック訳の本会見記が公開されている.

http://www.geocities.jp/mickindex/kandinsky/knd_interviewN_jp.html ).

しかし,ここでいう抽象絵画の登場を近代絵画の様々な潮流
との関連で追跡するなら,単独の「創始者」とは異なる歴史絵巻
が浮かんでくるようにも思う.残念ながら美術史の門外漢である
僕には資料を渉猟し,それを分析するだけの力量はない.

●一方個人的なことにひきつけて考えると,近代の抽象絵画が登場して以来
50年以上も経過した時点で古い絵画様式の呪縛から四苦八苦して脱皮
を繰り返し,それから10年,20年をかけてようやく抽象画にたどりついた
周回遅れの間抜けな美術家の僕には,個人の精神史としての必然の方が
興味がある.もっと分かりやすくいうとなぜ生きている現実世界が持つ豊な
イメージを捨てて,抽象化された色や形に絵画的魅力を感じるのかという
ことである.私設の個人的ギャラリーで作品を展示して頻繁に経験して来たことは,
毎回のように発せられる”何を描いたのか”という客からの質問であった.
画面以外に解答を求める発想は決して過去のものではない.
一方で西洋近代絵画史の初頭に花開いた新古典主義,ロマン主義,写実主義
など主題を前面に押し出した諸作品の表面をなぞると,非具象を特性とする
抽象絵画とはおよそ関連のない別の水脈の表現のように思えるだろう.
しかし,本当に絵画の水脈はそのように分断できるものだろうか.
相互に否定の関係で結ばれている諸潮流とは,つきつめたところで否定の
異界に跳躍した家出息子のようなものである.

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「眠り」,1964年?, 志田 寿人,紙にクレヨン

●ここに一枚のクレヨン(さくらクレパス)画がある.未だ抽象画に到達する
以前の作品で,大学時代に仕上げられた未発表の古典的習作である.
青緑の沈んだ色調を背景に目を閉じた青年がうつ伏せに近い姿勢で
横たわっている.ただそれだけの作品だが,どこか現実感が無いような
有るような人物像はおそらく当時の自分自身を投影し,分析的にとらえた
ものであろう.目に見える具体的な世界があたかも真実に迫るための
障害であるかのように目を閉じて観ようとはしない,その姿勢からこそ
真実が見えてくると思っていたのだろうか!?このよう目を閉じ,眠りに
落ちたような人物像は幻想絵画に魅せられた画家の作品にしばしば
登場する.

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『気まぐれ(ロス・カプリチョス)』より,「理性が眠れば妖魔が生まれる」,1799年,ゴヤ,銅版画

ゴヤの版画連作;「ロス・カプリチョス)」の一枚,
「理性が眠れば妖魔が生まれる」は良く知られているが,他にルドンの
「目を閉じて」がそれだ.面白いことにクレーにも「absorption」なる作品がある.
これらの作品の絵画的魅力はもちろんこのような観点から生まれるわけでは無い.
ただ,具体的対象物から画家の関心が何故離脱していくのかという
その一点から現実との対処のしかたを問題にしているのだ.

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「目を閉じて」,1890年,ルドン,キャンバスに油絵具

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「Absorption」,1919年,クレー,紙に鉛筆

●”大切なものは見えない”は「星の王子様」のなかの良く知られたセリフである.
これは常識ともいえる真実であって,なにごとかの表現をもっぱらとする絵画
特有の考え方ではもちろんない.芸術で括られる様式の中でも音楽では
芸術的真実は当然見えないとの了解がある.詩も物語りもそうではないのか.
だとすれば,むしろ見慣れてきた具体的対象物に密着させて絵画的意図を
実現させようとしてきた具象絵画こそ,芸術のありようを誤解させる例外的存在
だとはいえないのか.分かり易くいおう.そもそも我々が見える世界は,世界の
ほんの一部である.視覚が感知できる波長は狭く,見える物体像は分解能の
制限を受けて本当に大切なものは見えない.しかもこれは事実を争う科学の
世界だ.我々が本当に大切だと思っているものはどうか.愛情とか,誠実とか,
友情とか,正義とか,殆どが見えないところに我々も迷妄の根拠があるのでは
ないのか.即物的な面にこだわる絵画は芸術の呪われた形式かもしれない
という疑惑が黒雲のように湧き上がっても不思議ではないだろう.だが,
その時天啓のように一つの言葉が鳴り響くのだ.目を閉じよ!と.



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■水についての小さなエピソード ③波濤または解放の黙示録 [絵画制作と絵画論]

 昭和20(1945)年7月6日深夜,山岳の中核都市甲府は131機の
B29戦略爆撃機が容赦なく落とす970トンの焼夷弾を受けて
炎上,消失した.2万6千戸の住宅の7割が被害を受け,市街の
中心部の焼け野原には黒焦げの遺体が散乱した.暗黒史に残る
甲府大空襲である.甲府市の戦後復興はこの焦土無しには語る
ことは出来ない.ところが敗戦と同時にバラック小屋の建設が始まり,
水道,電気,通信等のインフラも困難をおして着々と進行していった.
翌1946年には戦後初めての市制祭が開催され,愛宕山からは打上
花火が上がったというから驚く.あまり落ち込まない国民なのだ.

 治安に関しても,夜道が恐くて歩けないという犯罪都市には
ならなかったが,これには治安を担当する警察が自治体警察として
早くから再建され,質的低下が大きな問題にならなかったことが
幸いしたのであろう.父が甲府警察署の署長として治安の任に
あたったのは戦後数年もしない激動期で,官舎から早朝の朝礼や
点検の姿を観たことを憶えている.

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1950年代初めの警察早朝訓練の光景

 その父が何かの所用で上京する機会が有り,はっきりとは
理由を憶えていないのだが一緒について行くことになった.
小学生の自分には何がどうなっているのか分からなかったが,
甲府署の建物とは比較になら無いような巨大なビルに連れていかれ,
入口の木製の椅子で父の用件が終わるのを大人しく待っていた.
しばらくして父が,言葉使いの丁寧な一人の紳士と連れ立って戻って
来た.「これがうちの豚児で・・・」と息子の頭をなでながら二人とも
楽しそうに笑っていたのを思い出す.それから父と僕は車で
海岸に移動し,比較的小型の船に乗り込んだ.10m以上は有った
と思うがそれがどのような性格の船かは定かではない.艇はエンジン
音と共にしぶきをあげて走り出した.それまで高速艇に乗ったこと
がない僕には夢のような瞬間である.それが,湾内を抜けると緊張に
変わった.いきなり大波が襲って来たのだ.船内で足をふんばり
手すりにしがみついていたが,ふと見あげると心配そうな父と目が
合った.小山のような波に向かって船は突き進む.そこからまた
谷底に滑り込むという具合で,船は上下左右に激しく揺れた.
爽快とも思える感覚!波濤を越える体感が記憶の中にしっかりと
刻みこまれた.

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19Cロシアの画家アイヴァゾフスキーによる「第九の波濤」,1850年,油彩

 荒波に魅せられた画家は少なくないが,芸術的到達度から見ると
傑作はそう沢山は無いように見える.海洋画家としてウィンズロウ・ホーマー
とならび賞賛されるロシアの画家;イヴァン・アイヴァゾフスキーは
どうであろうか.2007年,国立ロシア美術館のコレクションが上野に
やって来た.その中には「月夜」などアイヴァゾフスキーの名品も
含まれているという.「第九の波濤」は無かったが多少期待するところも
有って上京することにした.1969年,講談社刊,「クレムリン・ロシア美術館」
で作品を目にしていたからである.結果は正直がっかりした.
月光に輝く海など通俗に止まり,ロマン主義の核心部分;死と生の相克を
突き詰めての作品とは思えない.これは同会場に飾られていた
レーピンの大作;「何という広がりだ!」の無残な出来とも関係がある.
この時代のロシアのリアリズムの作品群は旧ソ連の社会主義リアリズムを
先取りしているようで,一種の絵画的後進性を感じたのは僕だけだろうか.
なまの主題への依存が芸術的緊張を二の次にしているように思えるのだ.

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クールベ,「波」,1870年頃,油彩,国立西洋美術館,松方コレクション

 諸流派が興隆した近代フランス絵画の流れの中で,荒海と言えば
クールベの「波」が真っ先にあげられるべきだろう.大学時代,仙台と甲府を
休暇で行き来した時,上野で途中下車し,国立西洋美術館で時間をつぶす
のが習慣になった.その時必ず観たのがクールベのこの作品である.
同じモチーフでクールベは何作も制作しているので他と比較したのかと
言われれば自信は無いが,大波への執拗な追求が観てとれる佳作だと思う.
仕上げた年は1870年,パリコミューンの始まる前年である.すでに
「オルナンの埋葬」をものにして画壇本流に抗し,偽善とタブーに「写実」
という挑戦状をたたきつけた気迫がみなぎっている.クールベは現実の
荒波を前にして,それを越える動き,動乱の時代を見ているのだ.
翌年パリ・コミューンが成立するとコミューン議員に第六区から選出され
市庁役員,文部委員,芸術家連盟会長に就任する.
 この複眼の視点は写実の方法論と矛盾しないのだろうか.海と空に
目を据えれば据えるほど,その具体的な姿から観念は飛翔しようと
しないのだろうか.逆に写実の目は観念を抑圧して,具体的な波の
描写に画家の作業を閉じ込めようとしないのだろうか.多くの通俗的
海洋絵画は迫真の描写力で観るものを圧倒する.あるいは市民的安住の
中で温和な描写を楽しむことになる.要するにカメラの目だ.ここには
描こうとする姿と観念との間に矛盾は無い.クールベのような強烈な自我に
とって,「写実」という方法論は反権威のモチーフに止まれば行く手を照らす
光となるが,象徴性の高い主題では一種の足かせとなる.こうした視点から
再度「波」を読んでみると,空も海もどこか中途半端な描写に見えてくる.

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ターナー,「嵐の中のオランダ船」,1801年,油彩

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ターナー,「吹雪ー港の沖合いの蒸気船」,1842,油彩

 写実という絵画的方法論は一時の中継点のようなもので,一度観念と
描写の均衡が破られれば後は雪崩のように崩壊することなるだろう.
クールベはその一歩手前に止まった.実体に拘ったのである.
現実の波の姿を打ち破って,絵画的冒険に歩をすすめた開拓者の
一人は19Cイギリスの画家,ターナーであろう.かれの比較的初期の
作品は戦闘的ロマン主義の典型ともいえる劇的風景を好んで描いている.
ターナーもまた内なる嵐をかかえての変革の人だ.しかしクールベと異なって
ターナーにはプルードン主義のような空想思想にのめりこむ運命を
背負ってはいない.ターナーの沸騰するエネルギーが向かったのは
絵画的光の中で,色彩を形態から飛翔させ,両方の調和を破る
ことである.これはドラクロアにも言えることで,印象派の先駆を
ターナーだけに求めるのは僕には公平な評価とは思えない.
いずれにしても,絵画における形態や色彩はその有り方を根本から
揺り動かす方向で動き始めた.

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SHIDA, 「波濤」,油彩,F120号,1965年頃?

 とすれば,その後の印象派の動きは,外光の中で捉えられた
一面といえなくも無い.つまり印象派が嫌った夜の世界ではまた
別の絵画的原理が働きうるということである.さらに展開すれば,
光と闇がせめぎあう世界では,第三の絵画が生まれうると
いえないだろうか.これはまったく個人的な気質の問題かもしれないが,
大学時代,僕には印象派的絵画の氾濫がどうしても馴染めなかった.
ゴヤの晩年作がモネの睡蓮で蹴散らされたと言われても困るといった
理屈である.そこで思い立ってF120号の油絵;「波濤」の制作に
とりかかった.仙台から近郊の菖蒲田海岸までバイクで一時間半
もあれば海を観に行ける.昼だけでなく,月光の深夜,大波の
押し寄せる日を狙って何度か出かけた.どのくらいで描きあげたのか
忘れたが,授業や研究を縫っての制作でそれほど時間はかけられ
なかったはずだ.ところがこの大作は幻の作品となって今は無い.
もうとっくに時効だからは白状するが,自分の手で破り棄てて
しまったからである.理由はさる地方新聞社主催の公募展に応募し,
見事に落選したことがきっかけとなった.どこかが決定的に未熟だった
のだろうと,入選作を観に行き2度ショックを受けた.このような
素人の手遊びと比較され,相手にもされなかったのだと思うと
怒りを抑えることが出来なかった.この類の落選が数回続き,
日本の公募展に応募することを止める決断をしたのはそれから
数年後である.退路を絶つためにも身近にあった過去の作品は
総て破り捨て,出直すことにした.他人に寄贈したものはどうなった
か分からない.何万円かで購入していただいたものはどこかで
生きているのだろうか.
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孤独な海の惑星 [絵画制作と絵画論]

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地球が日常の会話にまで登場するようになったのはいつ頃からであろうか.
最近では小学生までが「これって地球に優しいんだよね~」とか言う時代である.
地球とか世界とか,一昔前には誇大妄想と言われかねない言葉が,
グローバル化,インターネットの登場,環境問題の深刻化等につれて,
宿題のテーマの中にまで使われる時と成った.しかし,改めて考えてみると
地球という用語が世界地図とリンクしたのはそれほど昔のことだろうかという
疑問が生じてくる.

●ギリシャ時代にはすでに球体としての大地(erde)の概念は
生まれていたとの証拠がいくつか有るが,それでは足元の裏側にどのような
”世界”が存在するのかという点になると,現実の探査はもとより想像力の翼
も及ばなかったように見える.
 悪名高いコロンブスのアメリカ”発見”ではあるが,
コロンブス一行の到着は確かに球体に配置された陸と海のいたるところに
人間の生活があることを証明してみせた.こうなれば裏も表も無い筈なのに
価値観はそのままにして,なおも吸い寄せられるように裏側の”極東”やアフリカ
の宝を求めて船団を繰り出したのが大航海時代である.球体の到達点には征服
言語の痕跡が刻まれ,地図としての”世界”と物理的実在としての”地球”が
統合されていった.近世から近代に至ってもこの強権国家の拡張意欲は
衰えなかったのだから,今日いうところの統合システムとしての地球の
概念など生まれようがなかったのだ.

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●Earthの意味が現実的活動の場としての土地を意味するだけでなく,
そこに生きる生物共通の資産を意味すること,そのことなしには人類の
生存すら危ういという実感が生まれたのはもしかして前世紀末,1990年代
になってからではないだろうか.
 アポロ宇宙船の船体から世界に発信された地球の映像はその予言的な映像
として多くの人に衝撃を与えた.しかしその映像の意味するものの深遠を理解する
ためには,それから20年の歳月と新しい時代;情報化社会の到来を必要とした
ということであろう.さらに言及するなら意味の深遠は深い宇宙空間に広がり,
一層深い謎を投げかけているかに見えることである.

●高度知性誕生の場としての惑星;地球

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 我々が住む地球は太陽系に属し,その太陽系はアンドロメダ型銀河の
片隅に位置している.天文学が明らかにしてきたこれらの情報を今の
我々は平凡な知識として何の感動も無く受け入れているが,16世紀の
イタリアで平凡な星;太陽を主張したジョルダノ・ブルーノは火炙りの業火の
のなかで焼き殺されている.このブルーノの系譜はそれから300年を経て
一つの端的な定式化を獲得した.『宇宙の特別の存在ではない人類』という
カール・セーガンの定式である.しかし,本当に特別な存在ではないのだろうか.
生物が一旦進化を開始すれば必然的に知的生物の創出に至るということは
生物学者の合意というわけでない.知性の誕生はきわめてまれな偶然的
事件であるとすれば,生命の誕生が無数の星で起こったとしても,我々の孤独
は解消されないのだ.僕にはこの正否を判断するだけの深い見識は持ち合わせて
いないが,1992年10月12日に始まったSETI(Search for Extraterrestial Intelligence;
地球外知的生物探査)活動から聞こえてくる情報が予断を許さないものである
ことは確かなように見える.もちろんSETIを支えている世界中のサポータの
驚くべき努力を知らないわけではないし,またSETIの発足にいたるまでの幾多の
パイオニアの努力,執念,創意,哲学には本当に驚かされる.例えば宇宙からの
電波信号を実際に捕らえようとした『オズマ計画』は実に1960年という政治抗争
のさ中に実行に移されたことなどその一例である.

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●solitariaを受け入れた後の虚無
 地球をちょうど生物の分類のように名称をつけたらどうなるのか考えたことがある.
2命名法による最後のところは肝心なところで,端的にその本質を規定しなくては
ならない.僕の個人的な見解では水が最も重要な特性だと思っているが,これは
液体としてのaquaの存在だけでは不十分で海のような水の巨大プールの存在を
示す必要がある.つまり海の惑星;Oceaniplanetaということになろうか.ラテン語の
辞書で確認していないので間違っているかもしれないが, Planetaへの接続型はi
であるとすると海のOceanusの語尾はOceaniとなる.問題は第2項目で,現状を
受け入れて完全に孤立した惑星;solitariaとしてみた.
    Oceaniplaneta solitaria
これが僕のつけた地球の名称である.とここまで書いてものすごく悲しい想いに
襲われた.どう表現したらよいのだろうか.広大な宇宙の暗黒をあてもなく旅する
旅人,その先には希望も無ければ目的も無い虚無の世界が広がっている.

solitariaS.jpeg

絵は最近旧作を上から完全に塗りつぶして描いた新作である.一週間ほどで
描いたが解説はもうしない.大作ではないが画集に載せる予定である.
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夜のオーラ;NOCTAURA [絵画制作と絵画論]

 知人が数日後に結婚式を挙げるという.結婚式の翌日は誕生日
が控えているのでお祝いをどうしようかということになった.最近
は実入りが少ないので小さな自作の絵でも良いかと聞いたら,
カードだけでもいいのに絵ならいいもわるいも無いとの返事である.
さっそく25cm四方のベニヤ板を買ってきて制作を開始することに
なった.期限は郵送の日時を考えると2日間,ゆっくり練っている
時間は無い.彼女の好きな色は赤である.

noctauraP1.jpg

 赤の象徴的意味でまっさきに思いつくのは興奮,怒り等と結びつく
気分の高揚である.これは価値観によって評価は低くも高くも
なる.政治的意味合いで革命や変革の旗印として使われるから
好かれもするが,立場が違えば憎悪の対象にもなるのも同じ
理由からであろう.しかし赤は同時に危険や警告の印でもある.
”寿”の字をあざやかな朱色で書くのは,危険や警告の意味も
こめてのことであろうか(まさか!).いずれにしてもこのような
平板な象徴によりかかるのは面白みが無い.ランボーの良く
知られている詩に「永遠」がある.

noctauraP2.jpg

とうとう見つかったよ.
なにがさ?永遠というもの.
没陽といっしょに,
去ってしまった海のことだ.

みつめている魂よ.
炎のなかの昼と
一物ももたぬ夜との
告白をしようではないか.

人間らしい祈願や,
ありふれた衝動で,
たちまち,われを忘れて
君は,どこかえ飛び去る・・・.

夢にも,希望などではない.
よろこびからでもない.
忍耐づよい勉学・・.
だが,天罰は,覿面だ.

ひとすじの情熱から,
繻子の熾火は,
”あっ,とうとう”とも言わずに,
燃えつきて,消えてゆくのだ.

とうとう見つかったよ.
なにがさ?永遠というもの.
没陽といっしょに,
去ってしまった海のことだ.

金子光晴訳; 角川文庫,「ランボオ詩集」より

noctaura2.jpg

真っ赤に燃えて海に融けて行く太陽は常識的な象徴ではない.
赤の色彩の補色は緑であるが,太陽の昼との対比で漆黒の
闇を加算したらどうなるのだろうか.いや,むしろ夜の
周縁にからみつく昼,昼の周縁としての夜の方が
イマジネーションが飛翔できる.夜からしみ出るものがnoctaura
で(つまり夜のオーラ),それは昼の断片を吸って生きる
noctiluca(夜光虫)だったりして・・.座標をずらせば
昼全体が夜のnoctauraという観方も可能なのだ.とすれば
単一の赤というのは完全に一つの誤解で,彩度,明度の異なる
スカーレット,カーマイン,ヴァミリオン,チェリー・レッド,ルビー,
レーキ,ピンク,・・・の巨大な集合体ということになる.

タイトルNOCTAURAはわずか一日で完成して彼女に
送り届けられたが 感想はまだ聞いていない.
「えー,なにこれ!」を言われたらどうしよう.


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