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■水についての小さなエピソード ③波濤または解放の黙示録 [絵画制作と絵画論]

 昭和20(1945)年7月6日深夜,山岳の中核都市甲府は131機の
B29戦略爆撃機が容赦なく落とす970トンの焼夷弾を受けて
炎上,消失した.2万6千戸の住宅の7割が被害を受け,市街の
中心部の焼け野原には黒焦げの遺体が散乱した.暗黒史に残る
甲府大空襲である.甲府市の戦後復興はこの焦土無しには語る
ことは出来ない.ところが敗戦と同時にバラック小屋の建設が始まり,
水道,電気,通信等のインフラも困難をおして着々と進行していった.
翌1946年には戦後初めての市制祭が開催され,愛宕山からは打上
花火が上がったというから驚く.あまり落ち込まない国民なのだ.

 治安に関しても,夜道が恐くて歩けないという犯罪都市には
ならなかったが,これには治安を担当する警察が自治体警察として
早くから再建され,質的低下が大きな問題にならなかったことが
幸いしたのであろう.父が甲府警察署の署長として治安の任に
あたったのは戦後数年もしない激動期で,官舎から早朝の朝礼や
点検の姿を観たことを憶えている.

1950年代警察訓練.jpeg
1950年代初めの警察早朝訓練の光景

 その父が何かの所用で上京する機会が有り,はっきりとは
理由を憶えていないのだが一緒について行くことになった.
小学生の自分には何がどうなっているのか分からなかったが,
甲府署の建物とは比較になら無いような巨大なビルに連れていかれ,
入口の木製の椅子で父の用件が終わるのを大人しく待っていた.
しばらくして父が,言葉使いの丁寧な一人の紳士と連れ立って戻って
来た.「これがうちの豚児で・・・」と息子の頭をなでながら二人とも
楽しそうに笑っていたのを思い出す.それから父と僕は車で
海岸に移動し,比較的小型の船に乗り込んだ.10m以上は有った
と思うがそれがどのような性格の船かは定かではない.艇はエンジン
音と共にしぶきをあげて走り出した.それまで高速艇に乗ったこと
がない僕には夢のような瞬間である.それが,湾内を抜けると緊張に
変わった.いきなり大波が襲って来たのだ.船内で足をふんばり
手すりにしがみついていたが,ふと見あげると心配そうな父と目が
合った.小山のような波に向かって船は突き進む.そこからまた
谷底に滑り込むという具合で,船は上下左右に激しく揺れた.
爽快とも思える感覚!波濤を越える体感が記憶の中にしっかりと
刻みこまれた.

第九の怒涛.jpg
19Cロシアの画家アイヴァゾフスキーによる「第九の波濤」,1850年,油彩

 荒波に魅せられた画家は少なくないが,芸術的到達度から見ると
傑作はそう沢山は無いように見える.海洋画家としてウィンズロウ・ホーマー
とならび賞賛されるロシアの画家;イヴァン・アイヴァゾフスキーは
どうであろうか.2007年,国立ロシア美術館のコレクションが上野に
やって来た.その中には「月夜」などアイヴァゾフスキーの名品も
含まれているという.「第九の波濤」は無かったが多少期待するところも
有って上京することにした.1969年,講談社刊,「クレムリン・ロシア美術館」
で作品を目にしていたからである.結果は正直がっかりした.
月光に輝く海など通俗に止まり,ロマン主義の核心部分;死と生の相克を
突き詰めての作品とは思えない.これは同会場に飾られていた
レーピンの大作;「何という広がりだ!」の無残な出来とも関係がある.
この時代のロシアのリアリズムの作品群は旧ソ連の社会主義リアリズムを
先取りしているようで,一種の絵画的後進性を感じたのは僕だけだろうか.
なまの主題への依存が芸術的緊張を二の次にしているように思えるのだ.

クールベ波1870.jpg
クールベ,「波」,1870年頃,油彩,国立西洋美術館,松方コレクション

 諸流派が興隆した近代フランス絵画の流れの中で,荒海と言えば
クールベの「波」が真っ先にあげられるべきだろう.大学時代,仙台と甲府を
休暇で行き来した時,上野で途中下車し,国立西洋美術館で時間をつぶす
のが習慣になった.その時必ず観たのがクールベのこの作品である.
同じモチーフでクールベは何作も制作しているので他と比較したのかと
言われれば自信は無いが,大波への執拗な追求が観てとれる佳作だと思う.
仕上げた年は1870年,パリコミューンの始まる前年である.すでに
「オルナンの埋葬」をものにして画壇本流に抗し,偽善とタブーに「写実」
という挑戦状をたたきつけた気迫がみなぎっている.クールベは現実の
荒波を前にして,それを越える動き,動乱の時代を見ているのだ.
翌年パリ・コミューンが成立するとコミューン議員に第六区から選出され
市庁役員,文部委員,芸術家連盟会長に就任する.
 この複眼の視点は写実の方法論と矛盾しないのだろうか.海と空に
目を据えれば据えるほど,その具体的な姿から観念は飛翔しようと
しないのだろうか.逆に写実の目は観念を抑圧して,具体的な波の
描写に画家の作業を閉じ込めようとしないのだろうか.多くの通俗的
海洋絵画は迫真の描写力で観るものを圧倒する.あるいは市民的安住の
中で温和な描写を楽しむことになる.要するにカメラの目だ.ここには
描こうとする姿と観念との間に矛盾は無い.クールベのような強烈な自我に
とって,「写実」という方法論は反権威のモチーフに止まれば行く手を照らす
光となるが,象徴性の高い主題では一種の足かせとなる.こうした視点から
再度「波」を読んでみると,空も海もどこか中途半端な描写に見えてくる.

ターナー嵐の中のオランダ船.jpeg
ターナー,「嵐の中のオランダ船」,1801年,油彩

1842ターナー.jpg
ターナー,「吹雪ー港の沖合いの蒸気船」,1842,油彩

 写実という絵画的方法論は一時の中継点のようなもので,一度観念と
描写の均衡が破られれば後は雪崩のように崩壊することなるだろう.
クールベはその一歩手前に止まった.実体に拘ったのである.
現実の波の姿を打ち破って,絵画的冒険に歩をすすめた開拓者の
一人は19Cイギリスの画家,ターナーであろう.かれの比較的初期の
作品は戦闘的ロマン主義の典型ともいえる劇的風景を好んで描いている.
ターナーもまた内なる嵐をかかえての変革の人だ.しかしクールベと異なって
ターナーにはプルードン主義のような空想思想にのめりこむ運命を
背負ってはいない.ターナーの沸騰するエネルギーが向かったのは
絵画的光の中で,色彩を形態から飛翔させ,両方の調和を破る
ことである.これはドラクロアにも言えることで,印象派の先駆を
ターナーだけに求めるのは僕には公平な評価とは思えない.
いずれにしても,絵画における形態や色彩はその有り方を根本から
揺り動かす方向で動き始めた.

海景S.jpeg
SHIDA, 「波濤」,油彩,F120号,1965年頃?

 とすれば,その後の印象派の動きは,外光の中で捉えられた
一面といえなくも無い.つまり印象派が嫌った夜の世界ではまた
別の絵画的原理が働きうるということである.さらに展開すれば,
光と闇がせめぎあう世界では,第三の絵画が生まれうると
いえないだろうか.これはまったく個人的な気質の問題かもしれないが,
大学時代,僕には印象派的絵画の氾濫がどうしても馴染めなかった.
ゴヤの晩年作がモネの睡蓮で蹴散らされたと言われても困るといった
理屈である.そこで思い立ってF120号の油絵;「波濤」の制作に
とりかかった.仙台から近郊の菖蒲田海岸までバイクで一時間半
もあれば海を観に行ける.昼だけでなく,月光の深夜,大波の
押し寄せる日を狙って何度か出かけた.どのくらいで描きあげたのか
忘れたが,授業や研究を縫っての制作でそれほど時間はかけられ
なかったはずだ.ところがこの大作は幻の作品となって今は無い.
もうとっくに時効だからは白状するが,自分の手で破り棄てて
しまったからである.理由はさる地方新聞社主催の公募展に応募し,
見事に落選したことがきっかけとなった.どこかが決定的に未熟だった
のだろうと,入選作を観に行き2度ショックを受けた.このような
素人の手遊びと比較され,相手にもされなかったのだと思うと
怒りを抑えることが出来なかった.この類の落選が数回続き,
日本の公募展に応募することを止める決断をしたのはそれから
数年後である.退路を絶つためにも身近にあった過去の作品は
総て破り捨て,出直すことにした.他人に寄贈したものはどうなった
か分からない.何万円かで購入していただいたものはどこかで
生きているのだろうか.
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水についての小さなエピソード②シュトルム;「みずうみ」の深淵 [水]

●法律家&詩人&小説家シュトルムと言ってもなじみの無い方が多い
かもしれない.北ドイツの港町フーズムに生まれ19世紀の著名な
作家,日本では新潮文庫や岩波文庫等に翻訳されている「みずうみ」が
良く読まれているという.しかし,僕が最初に出会った作品はこの
「みずうみ」では無い.最後の小説で代表作とも評価される「白馬の騎者」
がそれで,小学校6年生の時だったと思う.なぜこの角川文庫「白馬の騎
者」(関 泰祐訳)という,いささか手に余る本を手にとる気になったの
か,思い出そうとしてもまったく記憶の底から浮かび上がってこないの
で,6年生という歳を考えれば冒険小説と勘違いしたのではないのか.

新田ため池昼1.jpeg
以前紹介した工房付近の溜池.シュトルムのImmenseは架空の湖であるが睡蓮からして池に近いのでは

●物語は北フリースラントの嵐の夜から始まる.語り手の私は自分の愛
馬の蹄も見えないような薄暮の中,宿を求めて凍えながらひたすら馬を
駆って堤防をひた走っていた.左手は荒涼たる湿地,右手は北海の荒波
が堤防をたたき続ける.不安が極点に達したかという時,彼の行く手か
ら半月に浮かぶ一つの黒い姿が近づいて来た.足の長いやせた白馬,
黒いマントを肩に翻した人,すれちがいざま燃える二つの眼,これは
何者か.私が宿にようやくたどり着いた時,この目撃談はたちまち宿の
客達の会話を凍らせてしまった.一人の小柄な老人がこうして「白馬の騎
者」;ハウケ・ハイエンの長い物語を語りだすのだ.非凡な才能を持つ少
年ハウケは長じて北海に面したこの低地の堤防監督官となった.旧堤防
の決壊の危険性を知る彼は新堤防の建設を決意し,それの実現に漕ぎ着
けるが,同時に個人的利害だけにとらわれた民衆の怨念や迷信をも新堤
防に閉じ込めることになる.そして10月の激しい嵐の襲来,つなみのよ
うな高潮と動揺する住民の怒声の中で旧堤防は決壊する.その濁流の中
には白馬の騎者;ハウケとその一家の姿も・・・.ということで老人の
話は終わるのだが,正義の壮絶な敗北の物語に6年生の僕はそれをどのよ
うに消化してよいのかとまどった.

新田ため池昼2.jpeg

●読書の衝撃というものは不思議なもので,シュトルムの名前はそれか
ら何年も記憶の引き出しに留まり,大学生になってから「みずうみ」と遭
遇することになる.ただし,このラインハルトとエリーザベトの実のら
なかった恋の物語にハウケのような壮大な悲劇性は無い.しかし,逆に
シュトルム個人の体験から見れば,切実さにおいてどうだろう.シュト
ルムの一生にはどこか怒りを含んだ静けさを感じるからだ.「白馬の騎
者」の語り手の老人は最後にこうつぶやく.「ー権力者や,頑固な悪僧を
聖者に祭り上げたり,有為な人間を,ただ少し並外れているからという
理由で,お化けや幽霊にしてしまったりするーそういうことはまだ毎日
おこなわれていますよ」と.これと同じ文脈でラインハルトの嘆きをみる
なら,それは”おかしなこと”がまかりとおることへの怒りだろう.母
の望みを優先して,幼い時からのラインハルトとの約束をエリーザベト
は裏切り,アルコール工場の跡継ぎと結婚したのだから.しかし,この
良くある通俗的エピソードに拘ったならシュトルムは凡庸な作家で終
わったにちがいないとも思う.

新田ため池夜.jpeg
写真を画像処理.青緑を増すとそのまま夜間の感じになる
●「みずうみ」で僕が最も魅かれたのは,プロットの妙ではなく,ライン
ハルトが行動の中で見せる森や湖との形而上学ともいえる深いかかわり
である.傷心のラインハルトが夕闇の湖に泳ぎだす一節を引用しよう.
「森は静かに,その黒い影を遠く湖上に投げていた.湖心のあたりには
おぼろな月の光があった.時おり木々の間にかすかなざわめきが聞こえ
る.風ではない.夏の夜の吐息なのだ.ラインハルトは岸で伝いに歩い
て行く.石を投げれば届きそうなところに白い睡蓮の花が一つ見える.
急に,その花の近くに行ってみたくなった.ラインハルトは服を脱ぎ捨
てて,水に入った」水は泳ぐほどの深さではないが突然深くなる.水面下
に沈んだ後,手足を動かして円を描きながら泳ぐ彼の目に寂しくさく睡
蓮の花が捉えられた.「彼は花を目がけてゆっくりと泳ぎ始めた.そして
時々水中から腕を上へあげてみた.したたり落ちる水の滴に月影が宿っ
ていた」しかし,睡蓮の花との距離は同じように見える.岸辺の輪郭がぼ
やけていくが彼はなおも泳ぎつづけ,ついに睡蓮の間近まで来た.
「白銀の花弁が月光の中にはっきりと見定められた.同時に網かなにかで
体が巻かれるような気がした.ぬらぬらする茎が水底からのび上がって,
彼の手足にからみついた.水は気味悪く黒々と拡がり,後ろの方では魚
の撥ねる音がした」(高橋 義孝訳,新潮文庫より).
 美しい光景の背後に死が見え隠れする.ゲーテの「旅人の夜の歌」もそ
うであるが,ドイツ文学の背景には有限な命を持つ人間,生き物と,そ
れをつつむ永遠なるものの相克が潜んでいるように思う.

新田ため池夜2B.jpg
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●コーシャー・ディル・ピクルス (KOSHER DILL PICKLES) 閑話 [食]

▲漬物が無くなると漬物の有難味がわかる.客員研究員としてアメリカで研究していた
時,食欲が日に日に落ちていったのにはまいった.原因はいろいろ考えられる.
貧弱な英会話能力,ランチ時の雑談にフォローできず全員が爆笑しても笑えない悲しさ!
それでも仲間の研究者,技術員達はこの奇妙な英語を話す日本からの客人に辛抱強く
対応してくれたから,食欲減退の第一原因が言語の壁とは考えがたい.
大体,日本での重苦しい閉塞感から自由となり,暇さえあれば公園顔負けの大学
   キャンパスを散歩したり,娘の誕生会に出たり,
    友達となったポスト・ドク達と夜中まで大学院生クラブ棟で騒いでいたのだから.

ギヨプリンストン.jpeg
30年前のプリンストン大学生物学教室.今はポップ な分子生物学棟に変身・移転.キャノンAE-1 ネガフィルム

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構内大きな石楠花の茂み.大学の古い歴史と共に在ったであろう植物がしのばれる.キャノンAE-1 ネガフィルム

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小さなケーキを囲んでの誕生会.子供達のわくわくするような歓声が聞こえてくるようで懐かしい.キャノンAE-1

と言うわけで,食欲減退の一番の原因は,どうやらこの地の食物だったように思う.
 スパゲティ,ハムバーク,ステーキも嫌いでは無いが,肉食文化に取り囲まれた
かのような食環境は日を追ってストレスが増すこととなる.

▲そんな中で出会ったコーシャー・ディル・ピクルス (KOSHER DILL PICKLES) は僕の
食事時の楽しみの一つとなった.高さ十数センチの広口ガラス瓶の中に,ちょっと小ぶりの
キュウリが漬け込まれていて,噛み砕くと不思議な風味と共に古漬けのような酸味が
広がる一種の漬物である.日本に居た時は食べたことが無かっただけでなく,その存在
も知らなかったが,ランチ時の会話には頻繁に登場するところからすると,どうやら米国
東部ではかなりメジャーな食品らしい.自家製ピクルス作りも盛んなようで,研究室を
主宰するスタインバーグ教授(M.S.Steinberg)などは多量のキュウリの買出しに
出かけてポリバケツに漬け込むという.

KosherLikePickles1.jpeg

 その時自家製レシピを頂いたのだが,帰国して長い間それは使われること無くファイル
に眠っていた.ピクルス用のキュウリや,必須成分のディルの栽培が面倒に思えたから
である.それが30年も経て女房の手で日の目をみることとなった.写真はそのピクルス
で,市販のそれとは比較にならない深い味と香り,「これは美味!」ということで瞬く間に
数本のキュウリは白ワインと一緒に僕等の胃袋に消えてしまった.但し今回は
スタインバーグ先生のレシピとは少し異なっていて,これがコーシャーなる名前の由来と
重なりいろいろな謎を生むことになる.

KosherLikePickles2.jpeg

▲まずディルであるが,このセリ科の一年草は香味料や生薬として驚くほど長い歴史が
有るらしい.5000年も前から生薬としてエジプトの医者が使用していたというから驚く.
古代ギリシャ・ローマ,その外のヨーロッパ,北アフリカと広まった歴史の中で特に注目
されるのは,古代イスラエルでも重要な植物であったことを示す記述が残されていること
である.ユダヤ民族における歴史記述の情熱は想像を絶するものがあり,その根幹を
なす「モーゼ五書」の土台の上にユダヤ口伝律法書「ミシュナ」とその注釈である
「タルムード」の壮大な体系が聳え立っているが,このタルムードの中に納税法として
ディルの種子,葉,茎で支払うことと命じた箇所があるというのだ.これほどの広まりを
見せ,著名となった薬香草がなぜ東アジアに到達しなかったのか,今回は疑問を提起
するだけにしてピクルスの方に話を戻すと,このレシピでもいろいろ分からないことが多い.

▲実は,女房が具体的に製法として用いたレシピは,スタインバーグ先生の原法
ではなく1998年主婦の友社刊「ひと味ちがう漬けもの」,p39,きゅうりのピクルスである.
きゅうり:4~5本, 塩:20g, これを下漬けした後処方にしたがってピクルス液に漬け
込むのだが,このピクルス液の成分が結構複雑である.
    水:1カップ
    酢:1カップ
    砂糖:大さじ3
    塩:小さじ1+1/4
    ピクルス用スパイス:大さじ1
    ローリエ:2~3枚
    赤唐辛子:2~3本
となっている.ところがスタインバーグ法のどこを見ても酢を加えるとは書いていない!
要するに白菜漬けのように乳酸発酵を待っということだろうか.来年はこの酢を
加えない処方でコーシャー・ディル・ピクルスに挑戦しようかと女房と相談している.

▲今まで解説抜きでコーシャーの語を使っていたが,このコーシャーって一体何の
意味だろうか.このコーシャーは今新しい食品哲学として注目を集めてきているのだが,
これを解説するとなると別の一章が必要となる.なぜならユダヤ教の食事戒律
に沿った認証制度がコーシャーだからだ.宗教と食の組み合わせは奇異に
見えるかもしれないが,両方はお互いに深くかかわっていて仏教も例外ではない.
それは精進料理を見ればなるほどと肯けるかもしれないが,話が長くなりすぎた.
ピクルスの話はひとまずここまでにしよう.
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■水についての小さなエピソード;①手に触れる優しさとは違い [水]

●羊水を蹴って生まれたはずの僕がいつか水を恐れるように
なったのは何故だろうか.手に触れた最初の感触を思い出す
ことはできないが,魚網を片手にウグイを追って小川を
さかのぼった少年時代の記憶は恐怖とは逆の感覚で有った
と断言できる.指先に触れる流れは同じ水では無いという意味
では生きること,つまり,時間的な存在という意味では
微かな死の予感をはらむものではあるが,これは理屈である.
触れているのは理屈ではなく,水と同じくつかみどころの
無い僕と言う生命だ.理屈は現実を締め上げ,
感覚は現実から湧き上がる.

雨後の芝.jpeg
雨後の平凡なイネ科の植物.絢爛たる水滴のアクセサリーが光る

「夏の爽やかな夕,ほそ草をふみしだき,
ちくちくと稲穂の先で手をつつかれ,小路をゆこう.
夢みがちに踏む足の,一あしごとの新鮮さ.
帽子はなし,ふく風に髪をなぶらせて.」
   アルチュ―ル・ランボウ,サンサシオンより,     金子光晴訳,角川書店,詩集,p.10

●街の街燈は暗く,星空は今よりも明るかった時,水も
またいたるところで淀み,水溜りをつくりだしていた.
雷鳴と驟雨が終わると,雨上がりの広場には決まって
即席の池ができあがり,それは僕等の遊び場となった.
手に触れる水の感触,それは60%が水である僕等の
身体との親和性を物語っているのだろうか.いつのまにか
水溜りには無数のボウフラが踊り,やがて蚊が飛び立って
行く.ところが生命の揺籃としての水のイメージは
或る日突然砕け散った.身体が水にどっぷり沈んで
しまったのである.

研究棟入口冬霧朝.jpeg
無機質なコンクリートも水を得て鱗のようだ.

●小学2年生か3年生か忘れたが,時はまだ戦争が終わって
まもない頃だった.夏になると冷房など一切無いから,
耐え難い暑さをひたすら風通しの良い場所で耐えるしか
無かった.生水をがぶ飲みしたり,たまには自家製の
かき氷にありつける時もあったが,油断すると下痢が
待っている.そんな時の救世主が水遊びだった.
川は近場には流れていなかったので,父の知人の家族が
気を使って甲府駅北口近くにあるプールにさそって
くれたのである.喜んでついていくと,おびただしい
人の群れが歓声をあげながら水飛沫をあげているのが
目にとびこんできた.後で聞いたところそこはプール
ではなく,何か機関車のための貯水池だったらしい.
深さは思ったより深く,足は水を蹴るだけである.

新田溜池.jpeg
工房近くの貯水池.静まり返った水面が釣り人を誘う.

それまで一度も泳ぎをしたことのない僕は,プールの縁
にしがみついて足をばたつかせるのが精一杯だった.
くだんの家族もめんどうになったのか視界から消えて
しまった.と,その時,何者かが僕の両足をつかまえて
水中にひきずり込んだ.夢中でもがく頭上に水面が白く
光って見える.とっさのことで飲んだ水が腹の中に
なだれこむ.”苦しい”と思うが声にならない.
外の声は完全に消え,不快な音に囲まれる.もうだめ
かと思った時その手は僕の足を離した.もがく
僕の目の前にプールの縁が見えた.何事も無かった
かのような歓声.咳き込み,水を吐き出した僕の背に
ぎらぎらと夏の日差しが照りつけていた.
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●「凍る地球」;60年前の少年SF(2)太陽活動と開放系地球 [太陽]

前回紹介した少年SF「凍る地球」(「東光少年」創刊号より連載,
1949年1月発刊;著者:高垣眸・深山百合太郎)は米国
ピッツバーグ郊外の第16原子力発電所の暴走,大爆発から物語は始まる.
時は1965年,著作の時点からみれば四半世紀先の未来ということになる.

1952.jpeg
このSFの読者層に入る僕等の小学校6年生(1952)時の記念写真.その内容を ふりかえるとちょっとちぐはぐな感じがする.

 原子炉の暴走と言えば,ヒューマン・エラーの積み重ねによる
1986年のチェルノブイリ原子力発電所4号炉・炉心溶融・爆発事故
を思い浮かべる方が多いのではなかろうか.しかし,「凍る地球」の場合
事故の原因は全く違う.ヒューマン・エラーが関係ないというわけでは
ないが,主たる原因は太陽黒点が急激に活動を始め,想像を絶する猛烈な
γ線,中性子バーストが地球を襲うというものであった.この異常太陽
活動はさらに1万トンの核燃料積載の貨物船の大爆発を誘発,珊瑚環礁を
瞬時に消滅させる.しかも,この核大爆発と太陽活動の相乗効果で電離層
に新層が形成され,ここを中心に合成されたアンモニアガスが地球に灼熱
地獄を招来,さらには生物の生育を助長する環境要因の激変で天文学的な
飛蝗の大集団が黒い雲となってアフリカからユーラシア大陸へと大移動を
開始するのだ.

チェリノブイリ現状.jpeg
http://www.jrp.gr.jp/modules/2007prize/index.php#p100
JRP2007年入賞作品;奨励賞 森住卓;20年目のチェルノブイリ.原発事故の傷跡は消えていない

 この地球全体を舞台とした空前の環境危機と,それを迎え撃つ文明の
戦闘,敗北,崩壊の過程を追うことはこの短いコメントの趣旨ではない.
僕が震撼したのは,この60年前の少年SFの先鋭な問題意識である.
小学生の僕を含めて当時の大方は人間集団の善悪判定に忙しく,文明の
根底に厳然としてある大いなる自然の黙示録的力を気まぐれな季節変動
程度にしか捉えていなかったように思う.しかし高垣・深山(TF)の
小説は巨大な時間スケールの中で起こる神の「突然の降臨」を,起こり
えない妄想ととしてではなく起こりうる危機ととして描いてみせる.
それは時代を越えた筆者等の独自の世界観から必然的に生まれてきた問題
意識ではなかろうか.独断を承知で以下にその特徴をスケッチしてみる
ことにしよう.

●開放系としての地球の拡張
地球が物質,エネルギーの出入りがない閉鎖系であるといった断言は,
降り注ぐ日光を浴びれば子供でも容易に誤りを指摘できる.しかし開放系
の実体を狭く浅く捉えるのと,広く深く捉えるのとでは実相は全く異なっ
たものになるだろう.直感ではなく観測事実そのものは49年段階でどう
なっていたのだろうか.例えば目に見えない放射線のようなものを例にし
てみよう.

 宇宙空間から飛来する高エネルギー放射線の存在については ビク
ター・フランツ・ヘスの気球を用いた先駆的研究がある.1900年代の初め,
宇宙からの放射線飛来については未だ大部分の科学者は懐疑的で有った.
地中に放射線を出す物質があることは広く確認されていたから,仮にそれ
が疑われる事実が有ったとしても,天空から来ることを証明しなくてはな
らない.
 ヘスは気球で可能なかぎり上昇し,高高度で測定すればこの放射線由来
の問題を解決できると考えた.しかし,5000m以上の高度に無酸素で上昇す
ることなど狂気の沙汰だ.もし多くが信じていたように地上にその原因が
有るなら高度と共にその値は減少するだろう.この論理がヘスを行動にか
りたて宇宙線研究のさきがけとなった.放射線の値は高度にともなって増
大し,エネルギー流入源に宇宙線が加わることになったのである.

LHCofCERNs.jpeg
CERN,大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collider、略称 LHC) . 陽子ビームは7TeVまで加速され正面衝突する.この14TeV(14兆eV)という値は 宇宙線の最高値に比べれば何桁も小さい. 

現在測定されている宇宙線エネルギー値の最高値は10x一万京evという驚くべ
き値で,人類が生み出した加速器の粒子エネルギーのどれをも越えている.
こういった超高エネルギー粒子の影響があまり問題になっていないのは
到達量が少ないためと考えられるが,エネルギー値が低くなると共に地球
圏に達する量は急激に増大する.しかし,宇宙線はまっすぐ地上に到達す
るわけではない.銀河宇宙線に関して言えばこのエネルギーは二つのの要
因によって地上への影響が減じられていると考えられている.
 一つは地球の分厚い大気の層で,γ線,X線,荷電粒子を含む宇宙線は大
気中で二次宇宙線を生じて勢いが分散する.あと一つは太陽からのプラズ
マ状態になった陽子や電子の流れ;太陽風のバリアー作用である.この太
陽風の粒子速度は秒速300~900kmで地球に吹きつけ,地球磁気圏と相互作
用する.実はこの太陽風はもっと大きなバリアー領域をもっていて,太陽
系全体を覆う境界面;ヘリオポーズにより星間風を最初にはじきとばすこ
とになるから,太陽風は地球にとって二重の障壁ということになろう.

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今年NASAが公開した太陽の大フレア.黒点の減少の中でのこの大フレアは興味深い

 身近な恒星;太陽,太陽系内の小惑星,太陽系外の星ぼしからのエネル
ギー,物質の流入は複雑,多様で地球環境を孤立的に分析することは出来
ない.太陽風をバリアーとしたが,この価値観を含んだ表現は太陽活動に
よってはバリアーどころか反対の攻撃要因に転化するであろう.太陽活動
が異常な活動を行えば,太陽からの高エネルギー粒子の流れそのものが地
球環境に激変をもたらすことになる.TFの物語の主役のひとつである高速
中性子線については,荷電粒子ではないので地球磁気圏のバリアー機能の
影響を受けないが,その実体につてはどの程度分かっているのだろうか.

 太陽活動と中性子バーストにつぃて特化した観測を行っているのは世界
で日本だけである.東京大学宇宙線研究所乗鞍観測所を拠点として続けら
れている名古屋大学太陽地球環境研究所グループがそれであるが,高エネ
ルギー粒子加速の仕組みを解明するためにも,観測の継続・発展を期待し
たい.
http://shnet1.stelab.nagoya-u.ac.jp/~ymatsu/solarneutron/

 TFの物語をSF特有の気ままな空想として退けることは簡単であるが,地
球外環境と地球環境を不可分なものとして考察する先駆的視点こそ重要で
あると思う.

100316黄砂.jpeg
2010年3月16日,甲府盆地は黄砂にすっぽりと包まれた.国境を越えておしよせる砂塵は 地球のシステム的把握の必要性を象徴するかのようである.

●変化を見るシステム的視点
 TFの物語のタイトルは「凍る地球」である.しかし,上述したように物語
は太陽の異常活動をきっかけとした灼熱地獄で始まる.なぜ凍る地球なの
か.TFは物語中の浅井博士に次のように語らせている.
”では植物は無限に地上に繁茂するのでしょうか?いえいえ,そこにはま
た,新しい条件が発生します.地球上の炭酸ガスの総量には限度がありま
す.動植物の呼吸燃焼,火山活動等を考慮に入れたとしても,10万億トン
くらいであろうと推定されます.従って,ある年数がたてば,植物の異常
な繁茂のため,当然炭酸ガスが欠乏してくるでしょう.D層付近のアンモニ
ア層も,分子量が15ですから,窒素の12に比して重いため漸次下降してく
るでしょう.そして,一旦水蒸気に捕まれば,すぐ溶融しますから,ある
年月が経てば,アンモニア層も消滅しましょう.炭酸ガスとアンモニアの
減少は,何を意味しますか.これは気温の降下を意味します.・・・
従って,近い将来に,太陽特殊放射線も止み,D層の消滅ともなれば,空間
条件の変化に伴い,全盛をきわめていた植物は尽く枯死し,地球は猛烈な
寒冷に見まわれて,やがて地表を厚い氷雪が覆うに至るであろうと考えら
れます.”

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93年型並列コンピュータConnection Machine-5.気候変動の解析には不可欠であるが課題は多い.

 炭酸ガスの循環を工場&機械からの排出,拡散,分解,気圏,水圏,陸
地,動物,植物の代謝,等あらゆるパラメターを総合的に入力し,時間因
子を入れながら各観測地点での動態をシミュレートすることは,原理的に
不可能ではないにしてもきわめて困難な作業にちがいない.しかし,衛星
からの炭酸ガスモニターのような手法で,観測値としてマッピングするこ
とは今の技術でも空間分解能を問わなければ実現可能であろう.その結果
炭酸ガスの純増が認められたとしても,地球システムとしていかなる方策
をとるかには人間社会の価値観が入り込む.ヒト以外の動物や植物は環境
因子に直接的に対応し,生態学的構造を変えるが,これをどう受け取るか
は社会の価値観によって全く異なるにちがいない.しかし,強制力として
の環境因子はやがて人間にも有無を言わさぬ影響を発揮するようになる.
つまり”知恵”を持つ僕等人間は常に自然の中の動植物;アニマを足蹴に
して,一番最後からしぶしぶ変化に対応しようとするのであろう.

 TFは科学・技術により,この悲劇を回避する努力を評価すると共に,自
然の圧倒的力を前に人間の営為が無力であり,悲劇が回避できないことを
も描き出す.そのことにこそ黙示録的意味が含まれているように思うのだ
が,冒頭TFの以下の一節を引用して,このメモを終わりにしたい.

”科学小説「凍る地球」を,私共が協力して読者諸君の前に贈ろうという,
真の目的は何でしょう.それは,明日の科学は,どの方向へ進むのかとい う予言と明日の文化は,どうなくてはならないのか,という忠告とを含め て,読者諸君の中から,只一人でもよいから,真正な大科学者を生みだし
人類文化の向上に寄与したいという考えから出発したのです.”

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●60年前の黙示録;少年少女SF「凍る地球」の警告(1) [太陽]

 人口問題や食料を含む資源・エネルギー危機,それに異常気象を
重ねると今日の環境問題はその射程に殆どが入ってしまうが,
文明批評を不可欠とするSFはどの程度深く,広くこの主題と取り組んで
来たのであろうか.今はSFというよりは現実そのもので,既存科学の
枠組を越えたシステム的視点が強調されるにしても,それはフィクション
の世界ではない.しかし50年,60年前となるとどうだろうか.

春雪2.jpeg
本年3月9日の大雪.この月の大雪の経験が無いわけではないが今冬の天候激変は異常

 科学・技術は生活向上,ひいては社会発展の希望の星と大部分が
前向きに受け取っていた時代である.SFの分野こそ多くの発言が
なされてしかるべき時代で有った.にもかかわらず地球環境のような
グローバルな視点のSF作品は少なかったように思う.
 と言っても60年以上前というと僕は小学3,4年生である.大人向けSF
など読める歳ではないし,また本は戦後の紙不足で限られた数しか出版
されていなかったはずだ.当時の僕等が夢中になっていた本は,少年
少女向けの月刊雑誌で,この中にはSF的な内容のものも多数有った.
その一つが「東光少年」である.この雑誌は昭和23年(1948)創刊の
冒険活劇文庫(後に少年画報と改題)より一年後れて創刊されたが,
小説中心で絵物語中心の他誌と性格を異にしていた.

春雪3.jpeg
翌朝3月10日,多量の着雪で木々の枝がいたるところで道路に散乱していた

 小学生の僕が雑誌を買ってもらえるかどうかは,その月の家の経済
状態と交渉しだいで,冒険活劇文庫だけは定期購入していたので
「凍る地球」の初登場については記憶が定かではない.ただ,太陽黒点
異常による地球環境の激変がアフリカの大砂漠を消滅させ,大豪雨
の連続で生態系が完全に崩壊,飛イナゴの大群が波濤のように欧州
各地を襲う場面が強烈な印象として残った.

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松の木の中には倒れるものも有り電線によりかかって危険な状態が続いた.

その後,引越しのどさくさで僕が大切にしていた雑誌,漫画の類は総て
廃棄されてしまい,10年,20年と月日が経過するうちに通常の図書館で
この雑誌を見ることは不可能となって今に到っている.と,ここまで書いて
終わりにしたらいかにも尻切れトンボであるが,1987年に少年小説体系
のシリーズが三一書房より復刻されたことを報告しなくてはならない.
その第五巻が高垣眸,急いで購入すると「凍る地球」のタイトルを見出す
ことが出来た.次回この物語の驚くべき内容について触れてみたい.
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▲チョコレートとタマムシ(2):色素不在が生み出す極彩色 [色]

 身体が透明になるSFとして有名なのがH.G.ウェルズの
「透明人間」である.これではある秘薬を飲むと,網膜だけを
赤く残して透明になってしまうという設定である.ヘモグロビン
のような鉄錯体を含んだ赤いヘムタンパク質が無いと酸素運搬
が出来ないのではと思ったりしてしまうが,筋肉部分に関して
はどうだろう.
 トランスルーセントの名称がつけられた鑑賞魚がいて,これは
筋肉部分が透明で骨格が透けて見えたりする.僕等の眼球の中の
レンズはクリスタリンというタンパク質から出来ているが,この
透明度は驚くほど高い.鶏卵の白身も透明だから,機能している
タンパク質の多くは白いゆで卵というよりはフグ刺の半透明に
近いのだろうか.
 ともあれ色彩という面から見ると,透明になるほど固有の
色素を持たないかぎり色を持つことはないと思いがちである.
別の言葉で言うと,色というのはその物に含まれる「顕色材」
しだいということになる.ところが自然界には極彩色でありながら
それが色素に由来しないものがいくらでもあるのだ.

タマムシ2b.jpg

 去年の9月の或る日山道を散歩していたらタマムシの死骸が
ころがっていた.体軸にそった縦縞の絢爛さは息をのむばかりで,
見る角度で色が変わる様子はDVDのディスクを見るようである.
この色こそ,色素には由来しない色の典型例の一つである.
 前回触れたように色素による色は白色光の中のある波長部分
を吸収し,その補色部分の波長が色として感知されることに
由来する.しかしタマムシの体色は光の干渉によるもので
発色の担体であるクチクラ層表層膜に色素は存在しない.この
タマムシ表層膜を透過型電子顕微鏡で観察すると18層の薄膜
からなる構造体であるという.おそらくカナブンの緑も平滑な
表層膜を持つに違いない.

タマムシ3b.jpg
タマムシ4b.jpg
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チョコレートとタマムシ(1):物と色彩の亀裂 [色]

ゴンチャロフチョコ1b.jpg
 
もらったチョコレートを食べようとしたら,あまり綺麗なので口に
入れるのが惜しくなってしまった.写真に納まっているこの作品は
ロシア風製法の伝統をひく神戸のお菓子工房;「ゴンチャロフ」が世に
送り出している逸品である.と言っても僕はチョコレートに関する
薀蓄も全く無いし,このメモも舌触りや味に関してではない.

ゴンチャロフチョコ3b.jpg
 
チョコレートが発する色というのはその素材とかかわりがあるのは
明らかだが,それを色との関連で見たらどうなるのだろう.絵具の
場合,色を決めているのは顕色材としてくくられる色素で他は塗りの
伸びや定着,絵具としての均質性を良くしたりする助剤である.
チョコレートの発色は単一ではないにしても主調はカカオマスとか
ココアパウダーに由来するはずである.しかし,調べてみるとココア
パウダーはチョコレート色よりはわずかに赤みがかかって,
実際はpHとかに発色が微妙に影響を受けるという.

ゴンチャロフチョコ2b.jpg

カカオ豆から最終的なチョコレートに到るまでには何段階にもわたる
複雑な工程があり,ココアバターとか,植物油脂,水飴とか,
それ自身では色彩的な顕色には影響が少なくても質感という色彩の
具現的な姿に大きな役割を果たすことになる.
 色を色素と言う面から見ると,顔料にしても染料にしても光の中の
どの波長を吸収し,どの波長を補色として発するかということになり,
この面ではチョコレートもより積分的な複雑さは有るにしても例外では
ありえない.

ゴンチャロフチョコ4b.jpg

 一方,これを描く対象として見たらどうなるのだろうか.チョコレート
が具現する現実の姿は艶や香り,特定の肌触りを有する物で有って
絵具が具現する色素とは異なる.したがって描くという行為は
本質的に客体そのものではなく,それの翻訳であることを絶対に
避けることは出来ないのだ.客体を言葉で描こうとすることが
翻訳であることを何人も否定はしない.しかし具体的な形象で
表現することは,言語を使うと同様極めて高度で神秘的な翻訳
行為であるように思う.

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●冬の蝶 [生命]

水滴Dec409.jpeg

11月とは思えないような小春日和が一転,12月の最初の週の中日
3日木曜日には冷た氷雨がぱらついていた.しかし翌4日には青空が
戻りまたもや穏やかな陽射しである.それでも,工房の窓から
見る松林の下はぽっかりと洞窟のように暗く,落葉を落としてやせ細った
コナラ林の先には,もはや命の気配というものがぴくりとも動こうとしない.

      ”冬か・・・”

天空に目をやると薄い雲が絶え間なく形を変え,冷えた大気の中に
ちぎれては消えて行く.ひたすら微動だにせず弱い陽光を吸って緩慢な
死の道行きをうごめいていたカマキリ達の姿もいつのまにか消えてしまった.
多くの生き物ははや安息の時を迎えたのだろうか.

コナラDec409.jpeg

  風に舞う落葉は,無数の木々が冬を乗り切るため
   自から身体の一部を切り捨てる自殺装置だ.
葉の付根では大量の死が一時に生産され
 用済みの枯葉は容赦なく切り捨てられていく.
合理的と言えば聞こえは良いが自然は非情なのだ.

コナラ林Dec409.jpeg

その時何かがひらひらと舞踊るのが見えた.
”トンボ・・・いや確か蝶のような・・”
あわてて目をこらすと青い筋状の紋が目に飛び込んできた.
ルリタテハだ!脅かさないようそっと近づいたが,
2,3度旋回してその優雅な姿はあっというまに森に消えてしまった.

ルリタテハ1.jpeg
盛夏のコナラの樹液を求めて集まったルリタテハとカナブン

思いがけず目にした美しい冬の蝶,
それは多様な蝶の越冬形態を知らなければ
 どこかあるべき時と場所から浮きあがった存在として
無知が持つ独特の冷笑を浴びたかもしれない.
場違いとか,季節外れとか・・・・
大多数の人間にとって,大多数の価値観や傾向からはずれること,
 それは何であれ,許しがたい逸脱行為なのだ.
人間にひきつけて言えばもっと激しく不快な表現となるのだろう.
老残をさらすこと,そこに多くの安堵と憐憫のよりどころが有るとか.

朽木Dec409.jpeg
 
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● ちょっと一休み;小布施の休日 [街]

 山梨でもリンゴを作っているが,一度北部信州の小布施で買って以来
それが病み付きとなった.フジとかサンフジが中心なのは同じだが,
包丁で剥かれた黄緑の果肉を頬張ると,口いっぱいに甘味の限界を極めた
晩秋の味が,かすかな酸味と香りを伴なって広がるのが素晴らしい.
今年は21日から連休に入るので,人ごみを避けて20日(金曜日)に
中央道から信越道に抜けることになった.友人と連合いが小布施で
僕の小さな誕生会をしてくれるというおまけ付きである.
 朝8時半頃工房を出発,連山の紅葉を楽しみながら2時間半程度で
小布施のハイウエイ・オアシスに到着した.ダンボール箱で5箱程度は
リンゴを買ったろうか,みるみる車のトランクが一杯になって行く.
12時には小布施のレストラン「蔵部」の予約がしてあるので,買出しは
その程度で切り上げて高速道路側道から人口1万2千の街の中心部
に向かった.そこかしこに広がる栗林を抜けるとゲストハウス小布施
近辺の駐車場までは約10分,ここから蔵部までは徒歩で数分もかからない.

小布施2.jpg

小布施1.jpg

小布施3.jpg


このレストランは黒を基調とした伝統的な民家様式のようでいてどこか
現代にそれが甦ったような新しさがある.能書きによると,枡一市村酒造
の酒蔵をリメイクして出来たこのレストランは香港在住のアメリカ人デザイナー
;ジョン・モーフォード氏の手になるという.しかもプロデュースは
枡一市村酒造取締役;セーラー・マリ・カミング氏というからなかなか
面白い.

蔵部2.jpg

 昼食は誕生会ということでちょっぴり奮発してもらったが,これが
またなかなかの味で驚いた.古い伝統を踏まえていながらすぐには
劣化しない新しさと言ったら良いのだろうか.小布施の街全体から
立ち昇る自信と風格の由来を知りたくなり,帰宅後急いで町史を
ネットでたどってみた.何と言う不勉強!うかつにも僕は知らなかったが,
小布施は街づくりの卓越した成功例としてつとに有名だったのだ.
その中心に有って明快な理念を現実のものにし牽引したのが
宮本忠長氏である.
http://www.avis.ne.jp/~miyamoto/

 旧市街を更地にして,再開発の名もとに10年もすれば古くなるような
建物を並べるといった手法と氏は真っ向から対決する.そこに生活
してきた人々の歴史をたどり,これを現在に生かす道筋を具体的に
明らかにしていく,そこから誕生してくる街並みは単なる懐古ではなく
風化に耐える普遍性,新しい文化だという確信がそうさせるのであろう.
「まちは生きている.まちづくりとは,いえづくりに例えるなら模様替え
工事である.いっぺんにできあがるという代物ではない.少しずつ,
住みながら,生き続けながら,設計し着工する」
小布施の街づくりにあたっての氏の言葉である.

蔵部1.jpg
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